映画が終わらない

映画館の暗がりが落ち着くΩと京アニ好きのαによる与太話

弾はまだ残っているか『天気の子』

キャラクターについて

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入院先は新宿のJR東京総合病院


映画は陽菜が病室で親を看病するシーンから始まります。本人より先に、窓に反射する透けた姿が映り、作中で彼女が消失することを暗示します。

 

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都会の少女、地方の少年というのは『君の名は。』の逆

もう一人の主人公、帆高は離島から家出してきますが、顔中に絆創膏が貼られています。理由は明らかにされませんが、作中で大人に何度も顔を殴られて、最後にはまた傷だらけになる。ということは家出の直前にも大人、おそらく親から暴力を受けていたのでしょう。

 

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キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.D.サリンジャー 著、村上春樹 訳、白水社

大人に楯突いては暴力的に矯正され、しかし結局変われず社会に馴染むことができない。これは帆高の愛読書『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公、ホールデン・コールフィールドと共通します。

ホールデンは大人の世界はインチキだと断じ、純粋な子どもの世界を守ろうとしました。見通しのきかないライ麦畑で走り回る子どもたちを、崖から落ちないように捕まえる。そんな人物になりたいと願いましたが、社会から異端者とみなされて入院させられる羽目になります。

 

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ロシアの拳銃「マカロフ」

帆高もまた大人の世界に馴染むことができません。子どもである陽菜を守ろうと拳銃を発砲したことで警察に追われ、その対極にあるヤクザにもなれず、社会に居場所のない異端者になってしまいます。

 

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マカロフは2発も撃てたのですが…

ラブホテルで陽菜の裸を見ますが、抱くことはできません。子どもの純粋さを守るため、一線を越えて大人にはなれない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』でもホールデンが売春婦を呼んだものの何もできないシーンがありました。

 

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ハンバーガー、カップラーメン、スナック菓子…

食事がジャンクフードばかりで美味しそうじゃないのが良いですね。彼らは美味しいものを教わっていないので、ご馳走といえばそれしか知らないのです。『君の名は。』でお洒落なレストランやカフェが出てきたのとは大違いです。

 

主人公たちの背景はあまり語られないので感情移入できないという感想も聞くのですが、『君の名は。』の子どもたちの影と考えればいいと思います。

都会・地方の出身の子どもである点と少女が巫女である点は共通します。しかし『君の名は。』の瀧は建築学、三葉は巫女の伝統といった先代までの蓄積を受け継ぐことができたのですが、『天気の子』の子どもたちに親はおらず、なにかを継承する機会が与えられません。彼らの背景があまり語られないのは、語るに値するものがないからです。

帆高も陽菜も日の当たる場所に行きたいと語りますが、これは安心して暮らせる状況の事でしょう。雨が降り続いて足元はぬかるみ、確かなものはなく、その日を生き抜くことで精一杯。そういう状況からただただ抜け出したい。

 

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酒を飲み、タバコを吸うのが新海監督作の大人の証

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帆高がジュースをとるのは純粋な子どもの証

須賀は作中でも言及がありますが、大人になることを選択した帆高です。娘のために帆高を追い出すという大人の判断をし、酒を飲み、タバコを吸って苦悩する大人であることを表現します。擬似的な親として、帆高に何度も大人になれよと言いますが、最後には警察にタックルして帆高を逃がすという大人ではあり得ない行動に出ます。結局変わったのは帆高ではなく須賀であり、作品として子どもの純粋な行動が支持されます。

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凪センパイは自分の見せ方を分かっている

凪は帆高に女性関係を見せつけるとき、必ず上座に座ります。フットサルコートでは一段上に座って説教しますが、最後には帆高を姉の相手として認め、同じ高さのベンチに座りなおして握手をします。

 

もろもろのシーンについて

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子どもたちだけが異常な存在に気付く

 序盤で帆高が、中盤で中学生が水塊に押し潰されるシーンがあります。一見、話の本筋との関係がよく分からない部分ですが、これは前の世代が残した負債のメタファーでしょう。映画で描かれる環境破壊や経済格差などの重圧が若い世代に降りかかるという意味かと思います。

 

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飛行石のような石

新海誠監督の長編アニメは過去の有名作品のテイストを利用する場合が多いです。『雲のむこう、約束の場所』はエヴァンゲリオン押井守、『星を追う子ども』は諸々のジブリ作品、『君の名は。』は細田守時をかける少女』と大林宣彦時をかける少女』『転校生』。今回は主には『天空の城ラピュタ』ですね。陽菜は親から飛行石のようなものを受け継ぎ、積乱雲の世界へと至ります。主人公の男女が破滅を選択する「バルス」なシーンもありました。水没する世界は『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』から『崖の上のポニョ』まで、ジブリ作品ではたびたび描かれるモチーフです。

 

ラストシーンについて

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バルスのような手繋ぎ

帆高・陽菜の選択により東京が水没するというのはなかなか衝撃的でしたが、それも仕方ないと思いました。負債だけ押し付けて解決する力を与えてくれない大人の世界など崩壊すればよくて、身近で大事な人を選ぶのは当然です。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』になぞらえれば、崖から落ちた陽菜を、ただ大事な人を守りたいという純粋さをちゃんとキャッチできたのかなとも思います。

 

ただ、その後は納得がいかない点が多いです。なぜ2年半後の帆高は罪悪感を感じて大人に謝るのか。僕たちは大丈夫などと言うのか。

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東京農工大学のパンフレット

帆高が進学する大学のパンフレットにはこうあります。「2000年代以降、アントロポセン(人新世)という言葉が拡がりを見せています。これは我々ヒトの活動が地球に大きな影響を与えていることを表した地球科学に関する造語で、…」この考えに基づけば、人間の活動によって自然のバランスは徐々に崩れて、帆高たちの目の前でついに壊れてしまったのだと解釈でき、現実の環境問題への警鐘ともとれます。しかし、須賀や瀧の祖母は、自然に対して人間は無力で影響を及ぼすこともできないと語ります。帆高は自分たちの選択が世界を変えてしまったと言い、それは天気の巫女の力によるものと考えています。大学パンフレットの内容と矛盾しており、巫女しか自然に干渉できないのであれば、地球科学を学ぶことは無意味です。

 

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帆高の左側に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が置かれているが、判別はかなり困難

もう一点気になるのは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の単行本の扱いです。映画開始から約40分の間になんと5回も登場します(フェリーで1回、ネットカフェで2回、須賀の事務所で2回)。須賀や風俗スカウトなどの子どもを搾取する大人に対して、帆高が不信感を持ち反抗していることを表現していると思われます。5回目の直後、花火大会で晴れ女ビジネスに成功し、以降は大人の力が必要なくなるためかさっぱり出てこなくなります。

最後の6回目の登場は、帆高の大学進学の引越し時です。暗がりの中に置いてあってほとんど判別できず、扱いが極めて小さくなっています。東京を水没させた負い目から、大人への反抗心は無くしてしまったのでしょう。

以上の点を総合すると「帆高と陽菜は東京を水没させる大罪をたまたま背負い、大人への抗弁はできず、自然の気まぐれに任せるほかは償うこともできない」ことになります。この状況のどこが大丈夫なんでしょうか。

 

帆高が拾った拳銃マカロフは9発装填できるので、2発撃って7発残っているはずです。負債を子どもに押し付けて、のうのうと良い暮らしをしている大人は許せない!最後は暗転してから「ダン!ダン!」と銃声2発、須賀と瀧の祖母にぶち込んで欲しかった。フィクションなのだから帆高は姿勢を貫いて、理不尽な社会に牙を剥くテロリストになって欲しかったです。

 

まとめ

以前に『君の名は。』について書きましたが、新海監督の次回作として観客を絶望の底に突き落とす作品を期待しました。『天気の子』は『君の名は。』のダークサイドといった趣で良かったです。同じ東京が舞台ですが全くキラキラしていない。見た目キラキラしているのは風俗店のネオンやラブホテルのバスタブという頽廃ぶり。大ヒットした『君の名は。』の次にキワドイ作品を投げ込んでくるのは素晴らしいと思います。

これまでの新海作品で描かれてきたのは「大人になることへの憧れ」でしたが、今回は「大人への怒り」でした。今の大人は子どもに対する責務を果たしているか。そうでなければ子どもが大人になることを拒絶し、世界を崩壊させても仕方ないのではないか。今までの作品にない切り口で新鮮でした。

『天気の子』(2019)に前後して『万引き家族』(2018)、『パラサイト 半地下の家族』(2019)といった貧困、格差社会をテーマにした映画が公開されて話題になりました。これらの映画には、主人公家族は貧乏だけれど仲は良い、生きるために犯罪行為に手を染めるなどの共通点が多くあります。(パラサイトとは大雨・水没も共通します。)作り手は当然主人公たちに共感するように映画を作るわけで、真に悪辣なのは罪を犯した彼らではなく、抜け出せない格差を生み出し、問題を押し付ける権力側だろうと訴えています。

本作の「負債を押し付ける大人 VS 純粋無垢な怒れる子ども」という冒頭の構図は共感できるものでしたが、天気の巫女にまつわるオカルト風味に引っ張られて「気まぐれな自然 VS 帆高・陽菜」と「そのとばっちりを受けた大人」という形で決着してしまったのは残念でした。

 

文章 Ω

 

引用

天気の子』監督:新海誠 2019

数学的帰納法で証明される境界の彼方 栗山未来・北宇治高校 吹奏楽部・京都アニメーションの「ずっと」

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劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE- 公式Webより

リズと青い鳥の記事を更新してから約一年以上経ってしまいましたが久々の更新です。

これまでは山田監督作品について書いてきましたが、劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの公開も間近!という事で、ヴァイオレットの石立太一監督の初映画監督作品である「劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE-」 から書き始めたいと思います。

境界の彼方はハミ出し者同士が出会い問題を解決していきますが、京アニの他作品 中二病でも恋がしたい!聲の形小林さんちのメイドラゴン 等々、京都アニメーション通奏低音とでもいえる内容であり、ファンとしてはとても楽しめる内容でした。

ただヴァイオレットと比較すると一般的なレビューは賛否両論ですね。確かにTV版からして設定やセリフ、各キャラクターの行動まで把握するのは難しいお話でした。さらに劇場版ではメガネで人気のあるヒロインの栗山未来が記憶を無くしています。悪の真打ちが弥勒というのも想像を超えてはいません。特にアウトローな二人が反発しあいながらも支え合って幸せになろうとする流れはTV版の韻を踏んだような展開だった事もあり、一般的には少し退屈さを感じされる所があるのかなと想像はできます。私も初見では「何故、記憶を消してまで劇場版で似たような話しを繰り返したんだろう?」と疑問が残ったのは事実です。

でも、そのそんな「繰り返し」が重要という「劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE-」の一つの見方を紹介します。

なぜ栗山未来は記憶を失う必要があったか?

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記憶を失い、閉じ込められているようなフェンス越しの栗山未来

「繰り返し」の説明の前に、栗山未来が記憶を失った点を考えてみます。劇中で記憶が戻る事はなく、家族にまつわる子供の頃の記憶や栗山家が受けてきたひどい仕打ちと「不愉快です」という口癖のみで、最後の最後まで過去篇の内容を思い出す様子がありませんでした。じゃあ、過去篇は何だったんだ、劇場版は同じような話しを繰り返しているだけなのか?

そんな設定の中、あえて今回「記憶を失わせた上で覚えていること」、改めて強調されているのは何かというと、「過去から現在に渡り背負ってきた不幸な血の運命」です。

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着物を来た何世紀か前の栗山未来のご先祖的な人*1

ここからは私の想像ですが、その栗山一族の「不幸な運命」をお話しの核として持ってくる際に、TV版では実質死んでしまった栗山未来の次の転生体、つまり栗山未来を生まれ変わらせて赤ちゃん〜子供から高校生までの成長を描きつつ劇場版の尺の都合で辻褄を合わせて収めるのは難しかったのだろうと想像します。

そのため「生まれ変わりの代用」として「記憶を失う」必要があったのではないでしょうか。過去編と未来編の未来ちゃんは、OSは同じだけど実質的には血の繋がった転生体や生まれ変わりと考える事にします。スマホのメモリからデータを消して最新OSを入れ直したら形は同じでも実質的には違うスマホとなってしまう事に近い状態とでも言いましょうか。

数学的帰納法による幸せの証明

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不幸な運命からの出口(聲の形にもありましたね)着床を見立てたシーン

それでは「生まれ変わり」をさせてから、なぜまたTV版と似たような話しを描いたのか、それは「また生まれ変わっても不幸な栗山未来を神原秋人の愛で救う」という事を改めて描きたかったからだと考えます。同じような状況に陥っても「繰り返し」救う事が重要なんです。これは数学的帰納法のような証明*2をしているのではないかと思うのです。


TV版以前 : N-1回目以前の転生 不幸せ(不愉快)


TV版または劇場版 過去篇 : N回目の転生 神原秋人によって幸せになる

劇場版 未来篇 :N+1回目の転生 神原秋人によって幸せになる

さらに未来:N+2回目以降の転生 神原秋人によって幸せになる


ポイントとして神原秋人は「死にたくても死ねない・不死身」という設定がここで効いてきます。今後栗山未来が何度生まれ変わっても、これからは神原秋人によって永久に幸せになる事が証明された映画なのです。尊い・・・。

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向かい合った二人 栗山未来はメガネOFF(あすか先輩や詩織さんなどメガネOFFは重要!)

不幸な運命を背負ってきた主人公とヒロインが共に「永遠に」生きていく*3。言葉にするとこっ恥ずかしいだけれど、どストレートに尊い話ですね。二人の幸せをずっとにするためN+1回目を劇場版の尺で描く必要が出てきた。TV版の栗山未来がそのまま劇場版に出てきてもずっと(数学的帰納法)の証明にはならなかったはずです。そこで劇場版という尺も考慮し、論理的に導き出された「記憶を失う」設定だったのではないでしょうか。

歌詞も"ずっと、いつまでも"

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「ずっと一緒に生きてくれますか」(永遠の重たい愛の告白)

ここで主題歌 会いたかった空の歌詞を一部引用します。

ずっと待っていた景色

(ずっと) ずっと (ずっと) 共に生きて行こう ずっと愛のままで・・・

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/minori-chihara/aitakatta-sora/

”ずっと待っていた”というのは、現在の栗山未来だけでなく、過去から現在にかけて不幸の運命から抜け出せなかった栗山未来の事でしょう。

さらにサビに入ってから”ずっと” “共に”というフレーズが繰返しでてきます。生まれてから死ぬまでの現世の事ではなく、来世もその次も未来永劫 秋人と愛で共に生きようという歌詞ではないでしょうか。

(余談)現在の幸せを描くED後

栗山未来の「未来」が永遠に救われてエモいという事を説明してきた訳ですが、「過去」の呪いを断ち切って「未来」永劫が救われるとしても、今「現在」の未来ちゃんには将来の転生体は本来関係無いわけです。今現在の未来ちゃんはどうなんだ?幸せになるんか?といった声に応える最後のシーン。

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過去・未来の不幸の運命が解消し、踏切を渡れるように

過去から続く、永遠の不幸に捕らわれて足踏みしていた状態を表現する踏切。秋人と二人で運命を乗り越えていく事が示唆されています。

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運命の踏切を二人で渡る

最後の未来ちゃんの満面笑顔のカットがとても良いんですよね。リズと青い鳥でいう所のハッピーアイスクリームのような。これを見るためだけにTV版〜劇場 境界の彼方 - I’LL BE HERE - までをもう一度見たくなってきました。

響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレでのずっと

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久美子2年生なのにフィナーレ?!

数学的帰納法のような証明がされているかな?というお話が他の京アニ作品にも出てきます。 劇場版 境界の彼方 と同じく花田十輝さんが脚本をされた 「響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ」です。

注目してもらいたいのは作品のタイトルです。結果的には全国優勝したわけでもなく、地方大会で駄目金だった、主人公の久美子もまだ2年生で、これから3年生なのに「なぜフィナーレ」と思いませんでしたか?

かなり個人的な見解ですが、この映画は北宇治高校が「頑張り続けられる」というカルチャー・組織・システム構築が完成(フィナーレ)した事を説明した映画だからなのではないでしょうか。

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卒業してしまう優子部長も「来年に向けて頑張っていきましょう!」で今年の総括。

1年目は、はじめこそ滝先生に焚き付けられて頑張りはじめたでしたが、2年目は自発的に部員が鼓舞し、問題を抱えたり斜に構えた部員が入っても、いつのまにか本気にさせる実力勝負のシステムも安定稼働。久美子と奏のやりとりでは、まるで一年前の久美子自身を見ているような繰り返しの構造となっています。エンディングでは3年目の久美子部長が出てきますが、北宇治高校 吹奏楽部は来年もその次の年も、ずっと終わる事は無く「頑張る」のだろうと想像させます。

栗山未来が永遠に幸せになる構造に近いと思うのは自分だけでしょうか。

おまけ 京都アニメーションのずっと

そんな誓いのフィナーレの制作終盤は、京都アニメーションアニメーションDoのスタッフが1つのスタジオに集まって高揚感を持って制作をやり遂げたという事を京都アニメーションTweetで知りました。

このTweetを知ってからというもの、誓いのフィナーレでは「京都アニメーション」がアニメ制作に対する「誓い」を北宇治高校 吹奏楽部のキャラクターたちに代弁させているようにも感じるのです。

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リエーターが組織の中で苦労しながら結果がでなくても頑張りたいという気持ちを代弁しているような久美子

ファンとしてはただ待つことしか出来ないのですが "ずっと、いついつまでも” 京都アニメーションの作品と向き合って行きたいと誓って、この文章を締めたいと思います。

引用

文章 α ( mirrorboy )

*1:過去・農民時代(?)のような描写の栗山未来も現代と同じような顔立ちをしているので、一般的な子供への遺伝とは違った「生まれ変わり」の運命や呪いを持った一族のなのでしょう。

*2:数学的帰納法は一般的に N = 1 から証明するようなので厳密には数学的帰納法と言って差し支えないのかは数学が詳しい方に教わりたい所です。

*3:栗山未来は転生ですが

子育て×タルコフスキー×変態性欲『未来のミライ』

 オープニング

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α:山下達郎の曲に載せて、家族写真のスライドショーで映画が始まりました。なんだかいきなりエンディングみたいです。

樹木を白抜き、これが本作の真の主役ということですね。

 

自宅

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建替えた自宅がかなり特徴的です。部屋が階段状に連なる平屋。元々あった木を中庭に植えて、左下が子供部屋、右上に大人と過ごす空間が並びます。これは画面の座標を表していて、左・下が幼さ・後退、右・上が成長・前進を意味します。

未来ちゃんが来た翌日、くんちゃんは久しぶりに帰ってきたお母さんに甘えます。寝起きの姿は左向きで丸まっており、胎児のようです。

本作では木が光ると超現実の世界に突入します。作中で詳しい説明はありませんが、これを仮に「トリップ」と呼ぶことにします。

 

トリップ1.ゆっこ・現代・後退

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ノスタルジア』廃墟はもちろん、男、犬、池も共通する

くんちゃんの前に、擬人化した犬のゆっこが現れます。背景はアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)ですね。作中で死期の迫った男が見る故郷の夢とそっくりです。さっき雪も降っていたし、これは年老いたくんちゃんの走馬燈なのかも…。まあ想像の世界ということではあると思います。

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サクリファイス』冒頭で生命の木を植える

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サクリファイスタルコフスキー監督作では、家がよく燃える

タルコフスキーネタだと、庭の木は『サクリファイス』(1986)からの引用ですかね。

なるほど、分かった!この後核戦争が勃発するけれども、お父さんが未来ちゃんを抱くことでそれが回避できる。感激したお父さんが自宅に放火、救急車で運ばれて映画が終わるんだ。

α:そんな夏休み映画はないですよ。

 

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いたいけな少年の肛門から火花が…

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『シャイニング』これ何の動物ですか…

α:ゆっこのしっぽがくんちゃんのお尻に刺さります。これは肉体関係を意味していますね。

獣姦ですね。かなり直接的、『シャイニング』(1980)よりはわかりやすいです。

 

トリップ2.未来ちゃん・現代・前進

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かなり深々と刺さっている

α:蜂ゲームでくんちゃんが恍惚としています。これは肉体関係を意味していますね。

近親相姦ですね。なんだか怖くなってきました。

α:ゆっこの外した笏がお父さんのお尻にぶら下がっています。これは肉体関係を意味していますね。

お父さんとも関係があったとは!乱れきっていますね。

 

トリップ3.おかあさん・過去・後退

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左に歩いていって幼児化する

お母さんとアルバムを見ていたためか、今度は過去にトリップします。

α:くんちゃんは拗ねて左側に、幼くなるどころか魚類にまで退化してしまいました。

幼いお母さんに出会って左側に進み、自宅に到着。お母さんにそそのかされて、めちゃくちゃに散らかします。

逃げ出した後は右側へ、暴風雨の中を進んで現実に戻ります。次に寝ているシーンになりますが、ここでは右向きでまっすぐ寝ています。反省して成長したのでしょう。

おかあさんがばあばから叱られたときの「信じられない!」という言葉は、くんちゃんもおかあさんから言われてましたね。「〇〇は私の宝」とか「何事にも初めはある」とか、同じ言葉が世代を超えて引き継がれていきます。

 

トリップ4.ひいじいじ・過去・前進

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ここでは北から、ひいじいじとのシーンは南から見るので、向きが逆になる

くんちゃんが自転車を練習する公園は「根岸森林公園」で、奥の建物は「旧一等馬見所」、昭和初期に作られた競馬場の跡です。かつては屋根がありましたが、のちに撤去されているので、ひいじいじと乗馬するシーンと現代とでは形状が違います。

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右に駆けていき、成長する

ひいじいじはくんちゃんを乗せて、馬で、そしてバイクで右側へ駆け抜けていきます。怖がらずに前を見て進むことを学び、自転車に乗れるようになりました。

ひいじいじの写真を見てお父さんと勘違いするのは、お母さんがひいじいじと似た雰囲気の人を夫に選んだということでしょう。

 

トリップ5.くんちゃん・未来・後退

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高校生になった自分に反抗して電車に乗りますが、これは左側に進んでいきます。遠くに見える黒い新幹線も左に進みます。

未来の東京駅に到着しますが、くんちゃんに構ってくれるお父さんはおらず、お母さんは怒ってばかりのオニババです。

東京駅の遺失物係に家族の名前を聞かれて、くんちゃんは答えられない。最小の社会である家族から孤立したように感じているからです。くんちゃん自身もただ家族に要求するだけ、受動的で双方向の関係性が築けていません。

そのために東京駅の地下、役目を終えた電車の墓場に辿り着き、黒い新幹線で一人ぼっちの国に連れ去られそうになる。社会的な役割を果たせない子供でいつづけるのであれば、居場所は無くなってしまうということですね。新幹線に乗ってしまったら、はるか左下に連れていかれて戻ってこれそうにありません。現実世界ではわがままな引きこもりになってしまうのでしょう。

それに対してくんちゃんは、未来ちゃんの兄であることを引き受けますと宣言をする。初めて自分の役割を自覚したことで急激に成長し、地下を飛び出して、東京駅の屋根を突き抜け、空に打ち上がるのです。

 

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葉っぱにナンバーが付いていますが、お父さんの思い出がSYL91-897-073-0、お母さんとひいじいじがHMS93-959-774-0、ゆっこと未来の自宅がLDB82-121-877-0で、2組は同じナンバーです。何か規則性があると思うのですが、ちょっと思いつきませんでした。

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サクリファイスタルコフスキー監督作では、男女がよく宙に浮く

タルコフスキー的に解釈すると、男女が宙に浮かぶのは、セックスして結ばれた喜びを意味します。やっぱり2人の間には肉体関係があるのではないか。

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α:くんちゃんが未来ちゃんにバナナをあげました。これはもう決定的ですね。

離乳食がお兄ちゃんのバナナって、どうかしてますよ。

エンディングはオープニングと同じく家族写真のスライドショー。映画全体がループになっています。或る家族の或る日常を切り取ったということでしょう。αでありΩである。 

感想

劇場公開時は世間から散々な評価だったのでスルーしてしまっていたのですが、観てみたらかなり良いのです。個人的には細田作品で一番良い。

一見して、わがままな男の子とダメな両親との日常、そこに挟まれる超現実的なトリップの繰り返し。極めて小規模で変な映画です。過去作のようなエンターテイメント大作を期待した観客には、そっぽを向かれてしまったのかもしれません。

画面の使い方に気付くと、ずっと分かりやすくなると思います。家の真ん中にファミリーツリー(家系図)があり、右上と左下を行ったり来たりする。前進と後退を繰り返しながら、それでも少しずつ成長していき、やがて次の世代が生まれて、またそれを繰り返す。そして子供が自然と成長する裏には、家族の思い出の積み重ねが隠れているのではないか。普遍的なテーマを独特の世界観で描いた、素敵な映画でした。

ただ、突っ込んで観ると監督の性癖がにじみ出ていて、獣姦・近親相姦を扱っている危ない作品です。なぜこれがR18ではないのか。子供が真似して飼い犬のを尻に刺したり、妹に自分のバナナを与えたりしたら大問題です。

細田監督にはぜひ年齢制限をかけた上で、思いのまま過激な作品を作ってもらいたいですね。 

 

α: 家系図アカシックレコード)にアクセスし過去を参照しながら未来に向けて成長するギミックが、テクノロジー・子供・獣と過去作品の要素を参照しつつ未来に向かっている映画をつくる監督の作家性ともリンクしている二重構造が面白かったです。

本作は一見テクノロジーは関係無さそうですが、家系図の表現は葉にシリアル番号のような数字が書いてある事から話題のブロックチェーンやDAGといったデータベース技術へ参照なのか偶然なのかリンクしています。VRやMR向けの3次元映像記録装置やサービスもそろそろ実用化されていきそうで、そういった映像データをブロックチェーン上に記録する事ができれば、本作に出てきたアカシックレコードも実現不可能という訳ではないでしょう。サマーウォーズが発表された当時、まだまだVRは流行していなかったですね。ローテクが蔓延ると噂のアニメ業界において、比較的テクノロジーに対する先見性があるというかナチュラルボーンで出来ちゃう方なのかもしれません。

技術的な未来志向とは別に、人口減少社会において子供の成長をテーマに据えるというのも将来を見据えていて個人的には好感が持てました。話は代わりますが、ケモナーアニメ監督というと、けものフレンズ・ケムリクサのたつき監督とも比較できそうです。日本を悲観しているのがたつき監督*1で、希望を持っているのは細田監督と言えるのかもしれないです。

細田監督にはぜひテクノロジー・獣・子供などをモチーフにしつつ、前向きな未来を描いていってもらいたいですね。

 

語り:Ω/編集:α

引用

未来のミライ』監督:細田守 2018
ノスタルジア』監督:アンドレイ・タルコフスキー 1983
サクリファイス』監督:アンドレイ・タルコフスキー 1986
『シャイニング』監督:スタンリー・キューブリック 1980

*1:ケムリクサでポストアポカリプス的な日本を絶賛描いています。核戦争はたつき監督に任せたいです。

ベン図で理解する「リズと青い鳥」

リズと青い鳥」はこれまでの山田尚子監督&吉田玲子脚本作品と同様にストーリーやキャラクターの心情をレイアウト・仕草・背景・音楽等々の演出を論理的に積み上げる事で繊細な感情を伝えようとする京都アニメーションらしい作品です。秘められたメッセージを解読する楽しさがありつつも、内容を一回で納得するのは比較的難しい作品だとも感じました。ファンとしては出されたお題を咀嚼するのはこの上なく楽しい時間なのですが。

作品を構成する鳥・鳥籠・絵本の世界(デカルコマニー)・ベン図など作品を象徴する要素いくつかありますが、今回は「ベン図」を中心にお話の内容を理解してみます。

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青と赤の水彩絵の具が混ざりあうカット

なぜベン図なのかは、終盤に出てきた上記のカットの為です。これは希美とみぞれの共通要素ができた事を表現するベン図として理解できます。重要な事として中央付近は色が混ざり合い徐々に紫色になっています。

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青と赤の集合が重なるベン図 重なった部分は紫色

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青と赤はも2人の瞳の色。目玉の中央には小さく相手の色が差し色で入っている。
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リズと青い鳥のタイトル 文字の色は「紫」色

2人が混ざり合った色である紫色は「リズと青い鳥のタイトル文字」に使われている事からもキーとなる色と考えられます。

2人がどのようにベン図の紫色を獲得していくのかを検討してみます。

互いに素

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2つの集合が共通の要素をもたない
冒頭の登校シーンの後に disjoint の文字が画面中央に提示されます。また中盤に数学の先生が”互いに素”の授業を行っていました。disjoint = 互いに素をベン図で描くと上記のようになります。

このdisjoint = 互いに素は2人を構成する要素や言動を集合に見立てた時に、重なっていないつまり共通の要素が無い事を表現しています。それでは、どのように互いに素なのか2人の要素をチェックしてみましょう。

要素 希美 みぞれ
登校 来る 待つ*1
上履きの置き方 適当 きっちり
ソックス
希美が拾った青い羽 綺麗 綺麗じゃない*2
自由曲 知ってる・好き 知らない
コンクール 金を取る・楽しみ 一生来なくていい*3
時間 時計をしている*4 時間を進めたくない*5
借りた本 絵本 小説
後輩 あり 囲まれている事が多い なし*6
リズと青い鳥(中盤) 私が青い鳥 私がリズ
音楽の実力 無し 有り
相手のこと 友達の1人 よそよそしい 嫉妬 好き 大切 特別
久美子と玲奈の演奏 窓を開けたまま聴き入る すぐに窓を閉める
大好きのハグ 未遂 1回目 嫌だった? (嫌じゃない)
大好きのハグ 未遂 2回目 今度(してあげない) して
リズと青い鳥(後半) 私がリズ 私が青い鳥
大好きのハグ みぞれのオーボエが好き*7 希美の全部が好き*8

これでもかというほど2人に共通点が無い事が描かれています。クライマックスである生物学室での「大好きのハグ」でも、特に共通要素が増える事はなく、ただひたすらにすれ違う2人が描かれているのが印象的です。

f:id:CobaltBombAO:20190210191030j:plain2人が共通の要素をもたない = 互いに素

(一部要素を抜き出しにですが、)ベン図で表すとこのような状態です。ちなみに”音楽が好き”はユーフォニアムでは吹奏楽部に参加している誰もが基本的には持っている要素・嗜好なので、数字でいえば1として捉えています。

共通部分

中盤までは、ほぼ共通部分が無い2人。どのような過程を経て共通部分を持つ事になるのでしょう。

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「(赤い糸の巻き方を)今度教える」と言われて驚く梨々花

きっかけとなったのは剣崎梨々花です。鎧に対して切り込んでいくような名前を持つ彼女がみぞれに積極的にアプローチを行います。剣崎梨々花という「後輩」が出来た事で、ベン図の共通要素が出来ました。希美は戸惑っていましたが。

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「進路調査の紙、白紙で出したのみぞれだけじゃない。」と空をみつめる希美

久美子と玲奈の演奏により、自分の音楽の才能や情熱に疑心暗鬼になった希美。進路調査の紙を出していなかった共通要素が発覚します。

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後輩に「囲まれる」みぞれ

玲奈からのプレッシャーや新山先生との面談で自分の立場に気がつき、みぞれが青い鳥として音楽的な才能を羽ばたかせる事ができました。その時、後輩に囲まれる事を経験しています。一方希美は生物学室へ逃げてしまいましたね。このようにリズと青い鳥の立場が交換され共通要素が増えました。

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みぞれとの出会いを思い出す希美の回想

生物学室での「大好きのハグ」の後は希美の気持ちが急展開。思い出したのか覚えていたのかは分からないですが、出会った頃の思い出をハッキリと回想しています。これも共通要素です。

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行きと帰りで階段の立ち位置が逆に。みぞれは希美に精神的に支えられていますが、音楽的には支えられる立場に。

希美は「大好きのハグ」の後に吹っ切れたようです。「一緒に」下校をし始めました。2人は将来に向けては音大に普通大学と進路を決め、そして希美は「みぞれを音楽的に支える」みぞれは「頑張る」とお互い「コンクールに向かう」目標ができました。飛翔する2羽の鳥は、未来へ歩を進めだした2人を表していたのでしょう。

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重なった事を分かりやすく表現したハッピーアイスクリーム
そして最後のカット。ベン図が重なった事を象徴する表現として出てくるのが、2人が「本番頑張ろう!」と言葉を重ねる「ハッピーアイスクリーム」です。ここまでをベン図にしてみましょう。

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2人が共通の要素を持ったベン図

めでたく2人が共通の要素を持つ =  joint の状態、紫色を獲得してエンディングを迎えられました。最後のカットもdisjointからdisを打ち消してdisjointとするカットで締めます。

希美の気持ちは?

大好きのハグ後の図書館のシーンでは「はいはいわかりました〜!」と元気に答える希美。どうやら音楽の才能・進路の事は吹っ切れてる様子です。しかし、みぞれへの恋愛に関する気持ちは名言されていません。

みぞれの恋は叶ったのか?希美のみぞれに対する気持ちは?

山田尚子監督はパンフレットで「2人に添い遂げて欲しい」と示唆はしていますが、明確に希美の気持ちを説明したカットは映像を見返しても無さそうでした。今作もあ〜あ〜恋をしたのはーいつからか?*9ですよ。

ここからはかなり個人的な解釈になります。ヒントは、リズと青い鳥の為に書き起こされたエンディングの曲 Songbirds にあるのでは無いでしょうか。

今しか見られないような西日の中

ポケットに隠したチョコレートが溶けていった

歌にしておけば忘れないだろうか

たった今好きになった事を

HomecomingのSongbirdsの歌詞からの引用です。I just come to love it now. と歌い上げられる歌詞。このセリフは響け!ユーフォニアムの第二期みぞれが県のコンクールで金を取った際に久美子から「コンクールはまだ嫌いですか?」と問われ「たった今好きになった」と答えている時のセリフからの引用でしょう。みぞれが「コンクール」を肯定的に捉えられるようになった事を表現しているセリフです。

しかし今作におけるこのセリフは違う文脈で使われているようです。「西日の中ポケットの中のチョコレートが溶けていった」という歌詞は生物学室での大好きのハグをした夕日に照らされた情景と、「みぞれのオーボエが好き」と伝えドロドロした物が一気に吹き出したような笑顔の希美に重なると感じます。そうです、これは「希美」の気持ちを歌っているのではないでしょうか?

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Songbirds によって補完されたベン図

歌詞を上記のように解釈すれば”お互いが好き”という共通の約数は増える事になります。

Songbirdsは2期のセリフを引用しつつ、好きの対象は「コンクール」「みぞれ」と違いますがリズと青い鳥の演出として繰り返し使われる対比・デカルコマニーの手法を踏襲しつつ、ベン図の共通要素を増やし、本編では隠れていた恋の結果も知らせてくれる。本作の演出の重要な一部になっている素晴らしいアニソンだと思います。

こうしてベン図*10を通して整理してみると、リズと青い鳥は希美の言うように「ハッピーエンド」だったという事が理解できました。

おまけ

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超!アニメディアに掲載された版権絵

映画の結末であるハッピーアイスクリームのその後を描いた絵でしょう。注目するのは2人が食べている”ダブル”のアイス。ダブルは重なるという意味がありますね。みぞれのアイスは後輩の黄色(梨々花)が青と赤のアイスに挟まれていて、まるで2人のベン図のようです。そして、希美のアイスはSongbirdsの歌詞に出てきた西日とチョコレートのアイスを食べているようですね。

引用

文章: α ( mirrorboy ) 編集: αΩ

*1:モデルになった学校まで行った事がありますが、永遠と20分くらい上り坂を登る苦しいコースです。長い時間歩くなら、友達同士一緒に来ても良いのではと思います。つまり希美にとってはそれほどの中では無いのでしょう。

*2:みぞれの髪を触る癖があります。左髪は否定、右髪は肯定でしょう。この態度と実際の言動がズレる事があり、みぞれは無意識でやってしまっているようです。希美は冒頭の羽を拾うシーンでみぞれの癖を間違えており、我々よりもみぞれへの理解度が低い子なのです。

*3:優子が「最強の北宇治をつくっていこう!」と部員を鼓舞している時にも左髪を触っており興味無さそうです。

*4:大前久美子や先生など、主体的に話しを進めなければいけないキャラクターは時計をしています。

*5:頻繁に生物の標本(死骸)がある生物学室に行く事や、進路指導調査表を出してない事からもわかります。

*6:あえて言えば3匹のミドリフグは後輩の代用として機能しています。餌をあげる = 一緒にファミレスに行って後輩に振舞うの隠喩でしょう。無意識では後輩と仲良くしたかったのかも知れません。

*7:「そして私のフルートを褒めて」という心の声が聞こえてきそうでした。

*8:しかし、希美がオーボエを上げたのと対象的にフルートには何も言及していません。生物学室で窓の外から希美の光を受けるシーンは、象徴的です。フルートの本分である音ではなく反射光を見て高まっています。みぞれも希美をの本質を見ている訳ではないのかもしれません。

*9:聲の形EDの「恋をしたのは」より。山田監督が恋をした瞬間を描くにはキャラクターを川に沈めないといけないので、リズでは難しかったのかもしれません。水槽は置いてありましたが。

*10:今回は分かりやすくする為にハッキリと境界のあるベクター円を使って話しを進めて来ました。実際の映像に出てくるベン図は水彩調でもっと境界が分からないよう滲んだグラデーションの絵になっています。現実的には全ての要素をロジカルに0と1で分けられない事を表現しており微細な表現にこだわる監督らしい演出です。という事を補足しておきたいと思います。

練りこまれた豊かな荒野『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

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スリーマイル島原発事故の牛はかなりショッキング

冒頭から情報量がすごいです。

双頭のトカゲはスリーマイル島原発事故で生まれた双頭の牛を連想させ、放射能汚染が進んでいること、そしてそれをすかさず口に入れないと生きていけない、過酷な世界が舞台だということを観客に突きつけます。

 

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「俺はナイトライダ~!」と陽気に歌っていたかと思うと急に泣き出すのでビビる

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次々目玉が飛び出すのでアガる

いきなりの目玉飛び出しショット!嬉しかったですね。1の冒頭、ナイトライダーがクラッシュするシーンで、血走った目のアップになる。本作でも開始早々に出てきて、「間違いなくマッドマックスの新作を観てるんだ!」って気分になりました。

 

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O-NEGATIVE UNIVERSAL DONER(O型Rh-の万能給血者)という設定が後々効いてくる

捕まったマックスは背中に屈辱的な入墨を掘られますが、上下逆さまなんですね。輸血袋は足を吊るして使うから。

イモータン・ジョーの登場シーンも良くて、観客には皮膚のただれた老人であることを見せる。妻や側近たちだけが知り得る真実で、ウォーボーイズ達はムキムキの不死身の男だと信じている。途中でネタばらしすると、観客も拍子抜けすると思います。最初から見せることで、ジョーがカリスマ性を維持する為に苦労していることが分かる。

ウォーボーイズの掛け声は「Fucacima,Kamakrazy,Warboys!」これは日本語字幕にはなっていません。Fuckが福島原発事故が発生したためにFucacimaに変わってしまった。俺たちは原発事故くらいぶっ飛んでるという意味でしょう。Kamakrazyはカミカゼ+クレイジーの合成ですね。ウォーボーイズなんてイカれてる、日本は関係ないと笑っていられない。

ぶくぶくに太った女性から母乳を搾り取ってるのもショックなシーンなんですけど、これで家畜が絶えてしまったこと、ジョーが他人を家畜と考えていることが分かる。

 

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迷える民と

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支配者

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AKIRA』4巻。迷える民と支配者

水を与えるシーンは漫画『AKIRA』が元ネタかと思います。荒廃した世界で、超人的な男が宗教で支配する。4巻の冒頭とよく似ています。砦の周りに住み着いてるのはミヤコ神殿の周りの集落に似ている。映画ナタリーのインタビューで、ジョージ・ミラー監督は『AKIRA』からの影響について述べています。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」ジョージ・ミラー監督インタビュー (3/3) - 映画ナタリー 特集・インタビュー

 

往路

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この後ひたすら左に進む

フュリオサがガスタウンに向かいますが、東に向かうと言って左に進んでいくんですね。普通は北が上、東が右なのでちょっと変です。理由として思いつくのは二つ。一つは南半球にあるオーストラリアの映画なので、南が上で東は左とした。もう一つは映画の進行方向の話で、洋画だと右に進んでいくものが多いです。2001年宇宙の旅木星目指して右に進む。アラビアのロレンスも右、最近だとダンケルクも右。右が正、左が反とすると、フュリオサ達は間違った方向に進んでいることを示唆しているのかなと。最後は思い直して右に帰ります。

α:そういえば、アナと雪の女王で、家出したエルサが向かった雪の城があったのも左でしたね。最終的には城下町に戻ってくる話の方向感は似ています。

 

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ヤマアラシ族の愛車。オーストラリアにはヤマアラシは生息していなくて、ハリモグラがいるみたい。

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『キラーカーズ/パリを食べた車』もちろんこの後人が串刺しになる。

ヤマアラシのトゲトゲのワーゲンはオーストラリア映画『キラーカーズ/パリを食べた車』からの引用です。この映画観たんですけど、実に変な作品で。まずパリって言ってるんだからフランスの首都だと思うじゃないですか。でもオーストラリアのパリという田舎町が舞台です。(検索してパリ川ってのはあったけど町があるのかは分からなかった。)パリの人たちは通りがかった車を襲って生計を立ててまして、捕らわれた人は逃げようにも暴走族が立ちふさがって逃げられない。住民と暴走族はグルなのかと思いきや、対立していって暴走族が町を破壊する。トゲトゲの車は暴走族の愛車です。

 

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二人とも本来の顔を失った状態にある

マックスは過去のトラウマから精神を病んでおり、人間性を失っています。スリットから「枷をつけたケダモノ」と呼ばれますが、その通りです。フュリオサに名前を聞かれても答えませんが、信用していないこと以上に、関係を築くことが怖くてできないのだと思います。名前を呼ぶ誰かが死んでしまったら、次は完全に壊れてしまう。

対するフュリオサはイワオニ族に会う時に、顔に真っ黒なグリスを塗りなおします。イモータン・ジョー大隊長としての戦化粧ですが、彼女もまた本来の自分ではいられない状況にあります。タールは徐々に薄くなっていき、鉄馬の女たちに再会した時には完全に落ちて、本来の姿を取り戻します。

 

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スプレンディドを支える妻たち。不思議ちゃんのダグが見えないが、きっと頑張っているはず…

スプレンディドが身を乗り出すシーンで、いつも涙ぐんでしまいます。生き残るためにスプレンディドが盾になる。その選択に賭けて他の妻たちが必死に支える。彼女を失うことは自分が死ぬよりも辛いのに。

生き残るために大局的な選択ができるか、というのはマッドマックスに共通したテーマであると思います。1作目のラストで、暴走族の残党は自分の足を切り落とすことをためらって、爆死してしまいました。

 

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弾倉を外しても装填している1発は撃てる

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不安そうな顔がいい

狙撃のシーンが素晴らしいです。マックスがウォーリグを分捕ろうとしたとき、フュリオサが右耳あたりで発砲する。キーンという、銃声による耳鳴りが表現されます。武器将軍の狙撃シーンでは、自分を殺そうとしたフュリオサに銃を渡して、右肩を貸している。ここでも耳鳴りがしますので、対になるシーンです。命を預けるほど信頼関係が深まっていることが分かります。

 

復路

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棒高跳び部隊ポール・キャッツ

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『マッドマックス』ポール・キャッツの開祖

ガスタウンの部隊、ポール・キャッツは曲芸師のようでなんとも奇妙です。よくこんなこと思いつくなと思いましたが、1作目を見返すとすでにやっていたんですね。崖から棒高跳びの要領でタンカーに飛び乗るシーンがあります。さすがジョージ・ミラー監督!ブレない男です。

 

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マックスの血液型はO型Rh-なので、誰にでも輸血できる

最後の戦闘でフュリオサは気胸になり瀕死に。こんなに地味に死にかける映画を観たことがありません。さすがジョージ・ミラー監督!元医者なのでリアルです。

ここで初めて、マックスは自分の名前をフュリオサに伝えます。共闘する中で信頼関係が築かれたとともに、孤独なケダモノだったマックスの人間性が回復したことが分かります。また輸血によって、復活した英雄マックスの力がフュリオサに分け与えられます。マックスは砦を去りますが、これから襲い来る困難は英雄フュリオサが解決するでしょう。

 

映画ナタリーの監督インタビューでも言及されている、ジョーゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』を読むと、様々な部分が対応していて面白いです。

本作の主人公はマックスではなくフュリオサでしょう。日常的な住まいを出て、門を抜けて境界を越えていく。数々の試練を乗り越えて専制君主を打倒する。再び境界を越えて帰還し、元居た世界に恩恵をもたらす。

過去作ではもちろんマックスが英雄役でしたが、本作では精神を病んでいて、それに振り回されています。選択を迫られるところでは、自分の意志ではなく、死なせてしまった少女の亡霊に誘導される。精神状態を知らないフュリオサ達からみたら、不思議な力で手助けしたり、道を示す思いがけない人物といったところです。これは『千の顔をもつ英雄』における「自然を超越した力の助け」に対応すると思います。「自然を超越した力で助けてくれる人は男の姿をしていることが多い。民話では森に住む小さい人々や魔法使い、世捨て人、羊飼い、鍛冶屋などがいて、姿を現しては英雄が必要とする魔除けや助言を授ける。」マックスは世捨て人ですね。

 

感想

公開初日に観に行って、文字通り虜になりました。最高なあまり他のアクション映画を観ても退屈に思ってしまうことが半年ほど続きましたが、そんな事は初めてでした。シリーズ過去作の要素をちりばめつつ、性差別や過激派の自爆テロといった現代的な問題をえげつない形で取り込んで、真摯に向き合っている。倫理観はぶっ壊れて、危うく成立している世界観やシーンの作りこみ。今回の記事を書くのに見返しても発見があり、なんて上手いんだろうと驚きます。

続編の製作は決定していますが、難航しているようです。ジョージ・ミラー監督、御年73歳ですから、なんとか元気なうちに作り上げてほしいです。

 

α:Ωとは20年来の付き合いですが、彼がやや興奮しながらオススメする作品というのは4年に1度程度、非常に稀です。私は普段、京都アニメーションの作品ばかりを見ていますが、これは見ておかなければならない、と立川爆音上映へ2人で行きました。ブラック&クロームのモノクロバージョンでしたが、砂漠とケバい車体、濃淡のハイコントラストが印象的で、出血や砂煙などのエフェクトが車の陰影と合わさると正直何を見てるか全く分からないカットが多かったけれど、とにかくカッコいい画面の連続というのを強く覚えています。帰りの飲み屋、Ωのテンションが高かったので勢いで映画ブログを初めようと言いました。

車で荒野を爆走、フロンティアを超えてまだ見ぬ理想郷を目指すという話の筋は、非常に西洋的、キリスト教的だなと感じます。一方で、少子高齢化(ウォーボーイズの減少)、格差社会原発事故といった問題と共に2020年東京オリンピック開催によって、AKIRA的な世界観の到来を意識してしまう1人の日本人として「生き残るために大局的な選択」をするといったメッセージは、素直に共感できた作品です。

 

おまけ

αが『リズと青い鳥』の記事を書いていたので、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』との共通点をぼんやり考えていたけど、これくらいしか思いつかなかった。

 

youtu.be

語り Ω / 編集 α

引用

・映画

* 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』監督:ジョージ・ミラー 2015
* 『マッドマックス』監督:ジョージ・ミラー 1979

* 『キラーカーズ/パリを食べた車』監督:ピーター・ウィアー 1974

・書籍
* 『AKIRA大友克洋 講談社 1982-1990
* 『千の顔をもつ英雄(新訳版)ジョーゼフ・キャンベル著、倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳 早川書房 2015

「リズと青い鳥」山田尚子監督の鳥カゴから脱出せよ!

解読「『リズと青い鳥』メイキングVol.4 山田尚子監督インタビュー編」

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先週公開された、映画「リズと青い鳥」の販促映像「『リズと青い鳥』メイキングVol.4 山田尚子監督インタビュー編」皆さんはご覧になられただろうか?山田尚子監督が作品を紹介している大変貴重な映像となっている。

京アニファンもしくは監督ファンとっては簡単には見過ごすことができない映像だ。一見して監督の美しさに心惹かれるが、この動画には作品に関する重大なヒントが隠されているはず・・・。僭越ながら、いち京アニファンとして、こちらの映像の演出に隠れたメッセージを紐解きつつ、「リズと青い鳥」に対してどのような視点を持って取り掛かっているかの一例をお伝えできればと思う。

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まずは監督本人に視点を移してみよう。レンズの中心からやや右側にズレて座っており、体を傾けたり、時々目線を下や横に動かしている「演技」が見て取れる。例えば一般的なインタビュー形式の番組であれば、左側にインタビュアー、右側に監督という配置、もしくは中央にドンと構えて座ってレンズ越しの視聴者に対して正面からメッセージを伝えるのが一般的だろう。一生懸命に作品の魅力を伝えくれている監督が中央から少しズレた位置に座る事で、視聴者は「レイアウトの不安定さ」を感じる。ストレートに言葉通りではなく、監督が発する意味を深読みする必要がありそうだ。

整えられた髪型に注目しよう。前髪は大きく左右に分けて1束真ん中の「希美」型、横と後ろ髪は「みぞれ」型。まるで2人の主人公を体現したかのような髪型のようだ。キャラクターに気持ちを寄せて、作品作りを行ったという事であろうか?

「アクセサリー」に注目すると、まずはネックレス。よくよく見るとMagicという文字を象っている。本作は現実的な女子高生のドラマであり、魔法は出てこない。あえて言えば監督は作品に魔法を掛ける存在といった意味が見いだせる。そしてネックレスは「首輪」から発祥したもので、仮にプレゼントとして受け取った場合は「あなたを繋ぎ止めておきたい」という意味があるようだ。作中の人間関係についてポイントとなりそうなキーワードだ。

次に左耳のイヤリング。イヤリングを片耳だけする事は何ら普通の事である・・・とスルーせずに意味を調べてみよう。女性が左側にイヤリングをしている場合は「レズビアンのアピール」という意味がでてきた。重要なヒントであろう。この作品は2人の主役の少女にそういった関係性があるという事を暗に表現しているのだろうか?

実はこのイヤリングはダブルミーニングとなっている。「リズと青い鳥」にはイヤリングをしたキャラクターが出てこない。そこに取ってつけたような監督のイヤリング。この不整合に対して、ファンなら直感的に「耳」といって連想される作品「聲の形」を思い浮かべるだろう。劇中でも主人公の西宮硝子が左耳にだけ補聴器を付けてるカットもあった。そう、これは「聲の形」ファンへのメッセージではないだろうか?あの夏の大ヒットがあった事で、引き続き監督という大役を任されたよ、「ありがとう?」という・・・。

監督は花柄のワンピースを着ている。京アニファンにはお馴染み、花と言えば「花言葉」だ。残念ながら解像度の問題でハッキリ読み取る事ができないが、オーニソガラム(純粋)、ダリア(移り気・不安定)、コリウス(恋の"のぞみ")あたりの組み合わせではないだろうか。やはり作品を理解する上で役立ちそうなキーワードになっている。 また山田尚子監督作品に特徴的な「足」1があえて映されていない点も監督ファンとしては気になる所である。

まだまだヒントは残されていた。左奥に配置された「リズと青い鳥」のポスターである。分かりやすく半分隠れているではないか。宣伝という目的を鑑みると、適切に情報を伝えるためには全体をレンズに映し出す事の方が適切だ。だが半分隠れてしまっている。「背景」でキャラクターの心情を語る京アニだ、意味が無いハズがない。2

f:id:CobaltBombAO:20180509015037j:plain 希美がみぞれを見ているのは意味ありげ

このポスターを見たことがある方はご存知、隠れている方にはメインキャラクターの1人である「希美」が描かれている。もしかしたら「希美」は隠したくなるほどのネタバレ、ポーズや行動を取ってしまっていて、撮影の時にとっさの判断で隠してしまったのかもしれない。実写映像では撮影時のハプニングを偶然取り込むといった事はままあるそうだ。逆にアニメーション作品は、キャラクターや背景、全ての情報を人間が創り出しているという事が言えるだろう。

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もう一つタイトルの「リズと青い鳥」から「リズと」が消えてしまっていて「青い鳥」という文字列が強調されている。インタビュー映像の冒頭は「鳥が飛び立っている」抽象的なシーンだ。わざわざトップに持ってくる映像に意味が無いわけない。そして「冒頭のシーンで映画全体を説明する」という手法は過去の京アニ作品でも散見されているのだ。

1分ほどのほとんど動きの無いインタビュー映像にこれほどの情報が詰め込まれているという事実に驚愕する。本編90分、演出を1つずつ解読していくと、どれだけ楽しめるだろうか?果たして一つ残らず監督の意図を汲み取って楽しむ事ができるのだろうか・・・?情報の海に、まだ何か秘密が隠されているのではないかとワクワクすると同時に底知れない不安の波が襲ってくる。

リズと青い鳥』リアル脱出ゲーム論

改めて「青い鳥」について考えているとココで1つ灯台下暗し、驚愕の事実を思い出した。TwitterというSNSで日々呟いている我々が実は「青い鳥」ではないか・・・と。監督は以前のインタビューで「傍観者になって2人を撮影した」といった発言をしていた。本作はほぼ学校の中で話が展開する。学校が「鳥かご」であり、生徒たちが「青い鳥」。その様子を「劇場」で傍観する我々も「鳥かご」の中にいると見立てることが出来る。

youtu.be

これまでのヒントを元に「リズと青い鳥」に隠されたメッセージを自分なりにまとめてみる。劇場という「鳥かご」の中で我々は90分間閉じ込められる。そこでは監督の発言通り、希美とみぞれ2人の「秘密」や「不思議」を観察し、解読する。本当の答えに辿り付いた!と意気揚々と劇場を後に「ツイート」をしてみる。ハッシュタグ「#リズと青い鳥」 のつぶやきを覗き込めば、はるかに深淵な分析を見せつけられ、自分の甘さに怯える。羽根がむしり取られていくような体験をする。飛び立てる事ができるまで視聴を繰り返す事になるが、まるでエンドレスエイト、リアル脱出ゲームを体験しているかのようだ。この映画は山田尚子監督からの挑戦状なのだ。はたして観客は自分なりのゴールにたどり着き無事に「鳥かご」から飛び立つ事ができるのか?

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まとめ

本作をはじめ、京都アニメーションと特に山田尚子監督の映像に対しては、1度見てストーリーを見知った後、このように演出をつぶさに観察し、隠された意味やメッセージを深読みして真の理解へ到達を目指そうとする私の事例をご紹介した。自分のレベルでは残念ながらこれくらいの情報しか読み取る事ができていないが、真の回答を得るにはまだまだ先は長そうだ。インタビュー映像に残された Next Yamada’s Hint は「大ヒット上映中」。興味を持たれた方は、上映期間中に何度でも監督の挑戦を受けてみて欲しい。

www.youtube.com

感想

Ω : とても良い映画でした。私は『響け!ユーフォニアム』本編を観ていませんが、本作は一本の映画として完結しているので支障なかったです。言葉とは裏腹な心情を、わずかな仕草、背景、構図で物語る。ストーリーは監督の過去作より淡白になり、細かい演出をひたすら積み重ねていく純度の高いヤバい作品。引用で成り立つ映画が多い中で(それはそれで楽しいのですが)、単品でここまでできるのかと感銘を受けました。

妄想:α ( mirrorboy ) / 編集・感想:Ω


  1. ファンが使用している通称「山田レッグTwitterなどで時々使われているのが確認できる。

  2. Ω:メイキング1だと監督がいてポスターも全部映っているから、4は監督のメッセージを伝えるためズームでいくという判断では…

映画「聲の形」から読み解く!山田尚子監督の演出意図

f:id:CobaltBombAO:20180402195950j:plain 将也と硝子がはじめて触れ合うカット

山田尚子監督作品をはじめ京都アニメーションの作品は何気ないカットの積み重ねにより、キャラクターの気持ちや行動原理を説明している事が多いです。楽(らく)しようとすれば、説明セリフや文字で説明してしまいそうですが、動画というメディアの特性を活かした演技・背景・カメラワーク等によるきめ細かい情報の制御がなされています。そしてファンは、そこからどれだけの情報を受け取れるのかを楽しんでいるようです。今回は映画「聲の形」のいくつかの例を通して、カットの積み重ねによる京アニの演出意図がどのように明示されているかという視点で書いてみようと思います。

「シューティング」に隠されたコミュニケーション不全な将也

f:id:CobaltBombAO:20180402191801j:plain シューティングゲームをプレーする将也

f:id:CobaltBombAO:20180402191934j:plain 輪ゴムで的当てをする将也

f:id:CobaltBombAO:20180402192009j:plain 硝子の事をシューティングゲームのボスが来た!ように感じている将也

子供時代の将也はとにかくシューティング(物を投げる事)が好きなようです。確かに男の子は鉄砲とか好きですが・・・・

f:id:CobaltBombAO:20180402192125j:plain 硝子に向かって小石を投げる将也

f:id:CobaltBombAO:20180402192203j:plain 硝子に迫られ、焦って砂をかける将也

硝子相手にもまるでゲームのようにシューティングを繰り返しています。『一方的に遠隔から攻撃』をしている事から、コミュニケーションの手段として考えると『対話をする気がない』ようにも見えます。とはいえ耳に障害がある硝子にとっては音声よりも物理攻撃の方がコミュニケーション手段として効果的なのかもしれません。実際に、小石を当てられた硝子は、怒るではなく友達になろうと将也を誘います。

f:id:CobaltBombAO:20180402192250j:plain チョークを投げる

f:id:CobaltBombAO:20180402192434j:plain 補聴器を投げる

f:id:CobaltBombAO:20180402192348j:plain ホースで水をかける

その後もひたすら遠隔攻撃を続けていますね。将也にとって硝子は遊び道具(タコのボス)みたいな人なので、イジメようと思ってこのような行為を繰り返していたわけでは無いのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402192544j:plain 手話が気になっている将也

自分の得意なシューティングを通してしか、コミュニケーションしようとしなかった将也ですが、手話に対して少し特別な反応をするカットがでてきます。周りの子は特に手を動かしてない事から、将也は興味があるのでしょう。これが後々手話を覚える伏線として機能していますね。

f:id:CobaltBombAO:20180402192755j:plain 硝子に対して「友達になろう」と手話をする将也

自殺を辞めてからノートを返しにいく展開は、少し唐突な印象も受けましたが、自分がイジメられる原因となったノートや硝子の事を清算したかったのかもしれません。手話を覚えていた事からも、小学校を卒業した後も彼女の事が心残りだったのではないかと推測できます。そして、ようやく硝子とコミュニケーションを取ることができるようになりました。「俺は物を投げるのが好きだ!」とか「手話を勉強して彼女と話したい!」みたいな野暮なセリフが一切出てこないのが京アニらしいですね。

2度の自殺の引き金になった「自責の念」の闇 西宮硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193328j:plain 転入生 西宮硝子による所信表明

小学校時代の硝子の行動原理は、とにかく『ノートを通じて仲良くなりたい』です。

f:id:CobaltBombAO:20180402193443j:plain 植野さんが友達と楽しくやっている様子を羨ましそうに見ている硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193520j:plain イジられていたのに「ありがとう」と返してしまう硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193600j:plain 将也がケガの原因なのに「ごめんなさい」してしまう硝子

何をされても「ありがとう」「ごめんなさい」と無難な言葉で返してしまっています。小学生くらいなら謝っておどけたり、逆に怒って喧嘩したりというコミュニケーションが上手くできれば良かったのかもしれませんが、硝子は抱えている青いシクラメン花言葉のようです。後々の話しで分かることですが、彼女は周りの人が不幸になると、自分を責める傾向があります。友だちになりたいという強い気持ちと共に、(これは想像ですが過去にイジメられた経験から)「自責の念」があります。そのため自分にケガを負わせた事で先生に叱られた将也に対しても「ごめんなさい」なのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402193941j:plain よくみると硝子がノートを沈めているカット

さらに友達になろうという事を頑張って伝えようとしましたが、将也にノートを投げ捨てられてしまいました。硝子が水に入り、ノートを拾い上げると思いきやノートを沈めています。つまり、ここでノートを通じて友達をつくるという当初の目的を諦める選択をします。

f:id:CobaltBombAO:20180402194028j:plain 後ほど結弦の夢の中で出て来るシーン

ノートで友達をつくることに失敗した硝子は、結弦に自殺したい事を伝えています。この時は(きっと家族の説得があり)自殺をしなくて済みましたが、追々学校を転校することになります。

f:id:CobaltBombAO:20180402194118j:plain 「これでも頑張っている!」と硝子

『友達を作る』と本人なりに頑張ってはいるが、やり方が不器用だったり、周りの不理解によって仲間になれませんでした。

驚いたのは硝子がノートを沈めた後に、イジメのスケープゴートになりいたずら書きをされていた将也の机を拭いてあげています。ここはやはり『自分のせいで将也がイジメられてしまった』という「自責の念」が生まれ、それを少しでも晴らす為の行動だったのではないでしょうか?この傾向は、高校時代においても自殺の引き金となってしまいますね。しかし、作品中には彼女がどうして「自責の念」を持つようになったかまでは描かれてないようです。

「恋をしたのは、いつからか?」aikoの主題歌について

f:id:CobaltBombAO:20180402194238j:plain 髪型を変えて一世一代の告白をする硝子

硝子の告白シーンは少し唐突なようにも思いました。監督のインタビューでもこれは将也の物語であることが強調されていました。きっと硝子のことを描く部分はいくらか省略しているのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402194517j:plain 小学校の水に沈めたノートを受け取った硝子

この告白に至った動機を想像してみます。まず自分が諦めてしまった「友達をつくるノート」を将也が持ってきてくれた。更に手話で「友達になれるかな?」と返して貰えた事で、小学校の時の悲願であった「ノートを通じて友達をつくる」という目的を唐突に達成する事ができました。またこの後、目の前で川に落としたノートを再度拾い上げてもらうことで、彼女にとっての小学校時代の辛い思いでは一旦清算され、再始動した1ように思います。

現実にこんな事があれば、友達以上感情を持っているという想像は難しくないです。実際に眼がウルウルする演出も入っていましたね。

その後、突然将也の自転車に植野が乗って現れた事がありました。あわや恋のライバル登場に焦りがあったのかもしれません。また難聴が進行した事でもっと人生を大切に生きようなどと思ったなど想像できます。しかし、いずれも告白するトリガーになるような決定的な演出は入ってないようで結論を出すのは難しいなと思っています。

f:id:CobaltBombAO:20180402194756j:plain aiko 恋をしたのは

ここで話しはズレますが主題歌の「恋をしたのは」について。はじめて映画館でこの主題歌を聴いた際に、実は内心ズッコケてしましました。というのも映画の主題は明らかに「恋」ではなく「コミュニケーション」の問題を描いており、2人で支え合って問題から脱出し生きていく、恋か愛かと問われればどちらかというと「愛」を描いているのに、何故「恋」について歌っているんだ?と全く理解できませんでした。

きっと製作委員会の音楽プロデューサーあたりが主題歌に対する決定権を持っており、興行的な成功を狙い恋愛映画のような見立ててで宣伝するためにaikoさんを抜粋したのだろうと邪推をしたりもしました・・・。

当初はこのように感じていたのですが、何度か視聴を繰り返す内に、上記の硝子が恋をした事があまり描かれていないな・・・「恋をしたのは、いつからか?」と思うようになりました(笑)ご存知のようにこれはaikoさんの歌詞と同じです。

きっとaikoさんも映画のプロットを見た時に同様の疑問にぶち当たり、恋愛ソングの女王としては、硝子の気持ちを補完せずには居られなかったのでしょう。この観点で歌詞を読めば、エンディングも演出の1つとして理解できそうです。実際に山田監督に質問する機会があれば、aikoさんにどういう発注をしたのかは聞いてみたいですね。

小ネタ集

暇になったら「シャーペンノック」する将也

f:id:CobaltBombAO:20180402194959j:plain 暇で退屈している将也。教室でシャーペンの芯をノック

f:id:CobaltBombAO:20180402195016j:plain 硝子が転校した後、さいどシャーペンノックを再開

硝子が現れてからは、この癖は出てこなくなるのですが、転校した後に再びノックをはじめます。やはり硝子のことは暇つぶしという認識だったのでしょうか・・・?

はじめに「床屋に硝子が座っている」カットの謎

f:id:CobaltBombAO:20180402195122j:plain ボサボサの髪の上に葉っぱが一枚

このシーンは時系列のどこに位置するか少し謎があります。 硝子のお母さんが髪切ってもらっている後ろでイジメられた形跡のある硝子が座っています。転校する前? 転校後?どちらでしょう。転校前だとしたら以前の学校に通っていたときにもイジメられていたという事になりそうです。転校後であれば将也達と何かしらコミュニケーションがありそうなものです。やはり転校前なのでしょうか。

スポンサーの「みずほ銀行」以外の銀行が出てくる謎

f:id:CobaltBombAO:20180402195233j:plain 冒頭にでてくる『水門銀行』

f:id:CobaltBombAO:20180402195244j:plain みずほ銀行」で示談金を卸す将也の母

f:id:CobaltBombAO:20180402195257j:plain 植野がチラシを配っている後ろにある『みずほ銀行

劇中に映画スポンサーである『みずほ銀行』がでてくるのですが、なぜか冒頭は『水門銀行』となっています。冒頭からいきなりスポンサーが出てくると観客が現実に意識が戻されてしまう、もしくは、自殺するために精算するお金を引き出すというネガティブなシーンは避けたいという事なのでしょうか?一般的に未成年の子供は親と同じ銀行で口座を持つと思いますので、あえて変えているのでしょう。

(おまけ)絵コンテを読んだけど その2

f:id:CobaltBombAO:20180402195412j:plain 絵コンテでは「いっしょにゴミ捨ていきませんか?」といった内容でした。

「私たちは今 2017」にて聲の形の絵コンテを見ていて、1つ発見がありました。上記のシーンのノートに書いてある言葉が絵コンテの時点では「いっしょにゴミ捨ていきませんか?」というようなセリフになっていたのです。

製作のどの時点で変更が有ったのかは分かりませんが、絵コンテから変更されています。単に山田監督が1人で考えた絵コンテをトップダウンでアニメにしているのではなく、スタッフとの打ち合わせや製作の中でインタラクティブに変更が加わったんだろうと想像できます。

「ゴミ捨て〜」だと植野達が掃除をサボっていたのを咎める硝子のマジメさをクローズアップする形になりますが、変更後の「何を話していたか教えて?」だと友達の輪に入りたいという硝子の気持ちがより際立つようになっています。ストーリーに沿った良い変更だな思いました。

まとめ

山田尚子監督作品に限らず京都アニメーションの作品はカットの積み重ねでその後ろ側に流れているキャラクターの感情や行動原理が説明されています。この記事を通して京アニファン以外の方にはアニメ視聴に新しい観点を提案できれば幸いです。もし新しい発見があったら教えてください。

他にも各キャラクターの感情の動きや劇伴についても書いて見たい所ですが、ここで打ち止めとしたいと思います。個人的に公開後からこれまで記事を書こうかどうしようかと悶々としていました。今回と前回の記事を通して「聲の形」に対しては禊が済んだような気持ちで、山田尚子監督の最新作「リズと青い鳥」に向き合えそうです。楽しみですね。

そして次の映画がはじまるのです。

語り・編集 : α ( mirrorboy )

引用

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前回の記事では、京都アニメーションの演出として普遍的な要素をデザインパターンとして抜き出してみました。 cobaltbombao.hatenablog.jp

今回の記事で触れていない「聲の形」の全体の内容については、富崎学さんという方の考察がまとめられたTogetherをご覧ください。これを読めば大筋として映画「聲の形」を理解・納得できると思います。コレを読んだ当初は何も書くことが無いなと焦りました(笑) togetter.com


  1. 「自責の念」以外は