映画が終わらない

映画館の暗がりが落ち着くΩと京アニ好きのαによる与太話

あきはだいじょうぶ『こんとあき』

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『こんとあき』林明子 作、福音館書店


一つ前の記事で『無彩限のファントム・ワールド』第6話を見て、喋るぬいぐるみと女の子という組み合わせから、絵本『こんとあき』を思い出しました。αが記事にまとめた演出パターンで読み解くと『こんとあき』の隠されたテーマが分かると思いますので、まとめます。

(絵本のストーリーの裏側を考察するので、そういったものは必要ないという方、絵本未読の方は読まない方がいいと思います。)

考察

最初に結論から言うと、『こんとあき』は子どもが精神的に自立するまでの通過儀礼の話だと思います。生きているぬいぐるみ「こん」の正体は、女の子「あき」の内面ではないでしょうか。あきがこうありたいと願う、少し前を行く理想の姿です。

 

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さきゅうまちに住むおばあちゃんにこんを直してもらうため、二人は電車で出かけます。道中では様々な困難に遭遇しますが、こんがリードして解決していきます。こんが不安を肩代わりしてくれることで、あきは前進することができます。こんはあきに何度も「だいじょうぶ」と語りかけますが、これはこんを介して、あきが自分自身に言い聞かせているのだと思います。

その一方で、物語の冒頭からこんが一人で出かけると言ったり、お弁当を買いに行って戻らなかったり、別れの気配が何度も漂います。こんに頼りきりのままではいけないと、あきは薄々感じているのでしょう。


さきゅうえきにたどり着いた時、あきは砂丘を見に行きたいと言います。こんの後ろに隠れていたあきに、自主性が芽生えつつあります。

その後、こんは犬に連れ去られて埋められ、あきがぼろぼろになったこんを掘り出して背負い、おばあちゃんの家に向かいます。ここで二人の関係が逆転し、あきがこんをリードします。あきが「こん、だいじょうぶ?」と聞くとこんは小声でだいじょうぶと言います。しかしその後は何を聞いてもだいじょうぶと繰り返すだけで、会話が成立しません。これは、こんのことを心配しなくても大丈夫でも、こんが付いてるから大丈夫でもなく、こんがいなくてもあきは大丈夫という意味に移り変わっていったのだと思います。あきはこんに頼らなくてもやっていける力があると自覚し、自信が湧いてきている。


おばあちゃんの家に着いて、早速こんを直してもらいます。あきが生まれる前にこんが作られたので、あきはこんがどのようにして生まれたのか知りません。ここでおばあちゃんが直すのを見て、あきはこんが作り物であることをはっきりと認識します。


おばあちゃんがお風呂に入れようとすると、こんは初めて「いやだ」と抵抗します。なぜかと言えば、これで生きているぬいぐるみとしては死に、ただのぬいぐるみとして生まれ変わるからです。いよいよあきはこんと別れて自立しなければならない、その不安の最後の抵抗と言えます。あきには踏ん切りがつかなかったので、おばあちゃんが無理矢理お風呂に入れて、こんを消してあきと同化させるのです。二人の"母"であるおばあちゃんなら、そのような芸当も可能でしょう。

お風呂に入ったこんが「すなのなかより、ずうーっと いい」というのは、砂丘での唐突な別れでなくて良かった、別れの前にこんに力を証明できたというあきの安堵の気持ちかもしれません。

 

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最後のページ「できたてのように きれいな きつね」になったこんは、こちらを見るだけでもう喋りません。それでも「よかった!」とあるのは、こんが直ったからだけでなく、あきがこんに頼らずに自力で生きる事をスタートできたからだと思います。


絵の進行方向について言えば、文字が横書きで右側のページをめくることから、右に進んでいきます。左端にあきのベビーベッドがあり、右端にこんの故郷であるおばあちゃんの家があります。右側がプラス(成長)であり、こんは常に右を向き、あきをリードしていきます。そして最後のページでは体を左に向け、これ以上右側へのリードは必要ない、あきのお守りの役目を終えたことを表します。

 

まとめ

ストーリーは女の子とぬいぐるみの小さな冒険旅行であり、絵本として子どもに他者を思いやる大切さを伝えることができます。しかし繰り返される別れや砂丘での会話、こんの入浴拒否など、何か違和感を感じるシーンが多いのです。それらの意味を考え整合していくと、上記のように解釈できると思います。

可愛い絵とは裏腹に、精神的な拠り所との訣別と自立の覚悟というハードなテーマが隠されており、それはきっと対象年齢の子どもには分からないでしょう。ある程度大人になって読むとはっとする、素晴らしい絵本です。

 

文章 Ω

引用

こんとあき林明子 1989