京アニ演出の見本市『無彩限のファントム・ワールド 第6話』絵コンテ:山田尚子 演出:小川太一
2016年の京都アニメーション作品『無彩限のファントムワールド』の『第6話 久瑠美とぬいぐるみ王国』から演出パターンを抽出し、その他の作品も交えながら整理してみたいと思います。
本作の絵コンテは山田尚子さん、タッグを組む演出は『たまこラブストーリー』などと同様に小川太一さんです。見ていただければ分かるのですが、京アニ演出というか山田演出の見本市*1*2と言っても過言ではない回となっており、題材として取り上げずにはいられませんでした。
お話を要約すると「熊枕久瑠美という少女が鏡像世界でファントム退治を経験する事を通して『前に進む成長』を描いた作品」です。テーマ的にも『たまこラブストーリー』や『聲の形』と共有する要素があり、山田尚子さんのファンであれば未視聴の方でもこの話数だけ取り出して見ても十分に楽しめる内容となっております。*3
というわけで演出を見ていきましょう。
進行方向の演出
山田尚子さんの演出を読み解くには、まず先に進行方向を見つける事です。*4
この第6話に限って言えば、現実世界は左向きの進行で、鏡像世界は右向きの進行です。『リズと青い鳥』のデカルコマニー演出として現実と絵本の中の世界は左右の進行方向が逆転していたのと同じ構造です。
『リズと青い鳥』では本作とは違って現実が右向きの進行方向でした。進行方向が分かればお話が進んでいるのか停滞しているのか、ピンチなのかチャンスなのか、プラスの行為なのかマイナスの状況なのか等、ストーリーや演出を読み解くヒントになります。*5
進行方向演出は左右の移動が主ですが、場面転換やピンチの時など話が大きく動く際は正面や奥行き、上下を使ったカットがでてきます。
進行方向演出について山田尚子さんはお約束としてキッチリやっている事が多い印象を持っています。京アニ全体できっちり守って作っているかと言われると、監督や各話の絵コンテ・演出担当の考え方によって違うようです。*6
ゴールの提示演出
親切にもお話の序盤には、キャラクターが達成すべき条件やゴールが提示されるのが通例です。
久瑠美は、信号を渡りきって晴彦達の所へ行く = お兄さんお姉さんと一緒にファントムと戦えるようになる。という事を暗示しています。
しかし足を踏み外して水たまりの中の世界に落ちてしまいました。渡りきれる条件に達していなかったのでしょう。 *7
鏡像世界ではサーモン将軍との戦いが待っていました。ファントムと戦えるようになる為の予行演習といった所でしょうか。鏡像というのは写し鏡という事なので、鏡像世界で行った事が現実に影響を与えます。
他の作品でも序盤にゴール設定をしっかり描いています。
序盤にゴールを表現するのは、視聴者に目的地を認識させて、目の前のストーリーの意味を理解する補助線にできるからではないでしょうか。*8
必ずしも主題に対してのゴールの提示だけがある訳ではなく、例えば「たまこラブストーリー」ではキャラクターそれぞれにゴールが設定され、最後に全員が怒涛のゴールラッシュを決めカタルシスがあります。
生まれ変わりの演出
ストーリーを通してキャラクターの成長を促す山田尚子さんの特徴といえば「生まれ変わり」演出ではないでしょうか。この生まれ変わりを演出する為に、キャラクターを水中に落とすというのがやり方のようです。
後述する倒れる方向の演出との組み合わせになりますが、進行方向と逆の方向に仰向けで倒します。その後どこかで起き上がらせる。これは率直にいうとキャラクターの「精神的な死」と「新しい自分への生まれ変わり」を表現しているのでしょう。
下の2作品は、胎児のような格好です。このあと将也は人を頼れるように、日和は郁也と出会い、生きる目標が変化します。水に落ちたたまこも、この後商店街を疾走するときによく目が見えていません。まるで生まれたての赤ん坊のようでした。
水中は母親や海のメタファーでしょう。生命が誕生する母親のお腹の中は羊水で満たされていますし、海は生物が発祥した母なる場所、しかし人間は呼吸ができないため、下手すれば死んでしまう場所でもあります。
監督は違いますが、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のラストにヴァイオレットが海に飛び込み、浅瀬に歩いていくシーンもこのパターンの発展型とも言えます。機械じかけの様な少女が感情豊富な大人の女性へ、生物の進化になぞらえてストーリー全体を要約した壮大な演出でしたね。
という訳で本作の久瑠美が水たまりに落ちるのは京アニ的には必然だったのではないでしょうか。
倒れる方向の演出
進行方向や生まれ変わりの類型ですが、倒れる方向に意味を持つ事も多いです。
山田尚子さんが演出家としての頭角を現した『白い闇』も似たようなカットがでてきます。出産と同時に死んでしまう渚との仲睦まじい思い出が走馬灯のようにフラッシュバックする名シーンです。
徐々に意識が朦朧としていく渚ですが、頭は右側にレイアウトされていて、とうとう最後の1カットだけ頭が左側になっているシーンが挿入されます。明らかに狙って入れていると思いますので、やはり仰向け方向にはルールがありそうです。
山田監督作品では無いですが、例えば『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のギルベルト少佐の倒れ方は特徴的でした。
この話数はお城への進行が左向きで、右向きに頭が来ているので瀕死状態と思われますが、くまのアルブレヒトと同様に体が起こされており、完全に仰向けに描かれているカットはありません。劇場版を待つまでもなく少佐は死んでいないと確信できるレイアウトだと言えます。
エイダンはヴァイオレットちゃんに看取られながら亡くなってしまいました。
安全地帯の演出
キャラクターがストーリー上どうしようもなくなったときに心を休ませる場所、緊急避難先として安全地帯が設けられています。また食べ物を食べたりお茶を飲んだりして体力の回復も兼ねてますね。
『リズ』の生物学室はクライマックスで希美が逃げ込む事にもなりますが、みぞれが大好きのハグをする事でさらにマイナス方向(←)へ逃げ場なく追い詰め、ショック療法で成長を促しているとも解釈できます。
このレイアウトは唯を他のメンバーが囲む形でとても安定的です。
ところで『けいおん!』は他の作品と違って安全地帯(部室)でのシーンが多く描かれています。『けいおん!』のお話は成長を描くというよりは、主に女子高生の青春・学園生活の楽しさを中心に描いているためあまり敵が存在しないからでしょうか。成長を促すはずの大人であるさわこ先生も友達みたいですよね。
安全性を確保する場所は自分を脅かす敵がいない場所。友人や理解のある大人が居たり、飲み物を食べたり飲んだりして落ち着いて回復する場所というのが共通した要素のようです。
踵を返す・振り向き・切り返しの演出
キャラクターがマイナス方向からプラス方向へと反対の方向へ体を向ける演出です。本作から『決意表明』『物語の終了』2箇所を解説します。
アルブレヒトに頼り切りで敵に背を向けているという危険な状態から。顔を反転し進行方向に向けて戦う決意を見せます。
こちらのパターンは、物語のゴールを達成 = 進行方向の左端に達成したので踵を返します。『リズと青い鳥』でも登校と下校で方向が逆になっていますね。ここまでくると後はエピローグ的なカットが入った後にEDが流れます。TV版だと次回への繋ぎが入ったりしますね。
エピローグ - 並んで帰る演出
ゴールを達成した後は、一緒に並ぶカットが入る事があります。
冒頭のお姉さんと一緒に戦えるのだろうか?という問いに対し、久瑠美の願望が叶う事が示唆されるカット。
次回からは、久瑠美もファントムとの戦いに参戦します。
一緒に歩くというのは一見特筆すべきシーンではないように思いますが、並んで歩くの逆を考えてみると意味を理解しやすいと思います。例えば片思いや喧嘩などの対立をしている場合は顔と顔が向き合う形になり絶対に一緒には歩けません。平行に並んで歩けるという事は、その問題を乗り越えた先にある友情や愛情、信頼という事を表現できますね。
高校3年生の『映画けいおん!』は、元々バンドメンバーと並んで演奏できるところからスタートしたので、その先のゴールとして、卒業後に飛び立って行くことを示唆しています。飛躍するための予行演習として海外旅行をしたのかもしれませんね。*12
おまけ - 足演出
山田監督の演出といえば、『足』を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ここまででも随所にでてきているので割愛しますが、特にこれは新しい!と思った足パターン*13を紹介します。
まとめ
『無彩限のファントムワールド』の『第6話 久瑠美とぬいぐるみ王国』から山田尚子さんらしい演出や京アニ演出を抽出し、他作品とも並べる事をしてみました。
また水たまりの下に存在する鏡像世界は最新作『リズと青い鳥』の絵本の世界やデカルコマニーの原型的なアイデアとも言えますし、同時期に制作された『聲の形』や過去作『たまこラブストーリー』演出との共通性があることが分かりました。
見覚えのあるカットや普段は中々あからさまには見せない他作品からのインスパイヤー(セーラームーン×タイムボカン×サンライズ立ち)もしていて、見どころも多かったです。
山田尚子さんは繊細な感情表現を得意とするアーティストといった評判を聞きますが、個人的には脚本の意図を、再現性や再利用性のある演出*14で論理的に落とし込む事ができるデザイナー的な部分も強くある方だと考えています。
近年では藤田春香監督や山村卓也監督など若手監督の作品を見ていると、そんな京アニ演出が随所に取り入れられ発展させているようです。京アニ作品は完成度が高い(とりわけ作画が綺麗)と言われる事が多いですが、その高クオリティの理由は再利用性の高い演出も一端を担っているのでは無いでしょうか。
以上『無彩限のファントム・ワールド 第6話 久瑠美とぬいぐるみ王国』は、山田尚子さん演出・京アニ演出のパターンを読み解く上でかなりの秀作でした。ファンの間では『ファントム』についての話題が出る事は少ないですが、この回以外も各話演出の持ち味をたしなむにはもってこいの作品となっておりますので、是非ご視聴ください。
引用:京都アニメーション作品
文章:α / 編集:Ω
*2:比較的有名な山田パーや羽ばたく鳥の演出はでてきませんが・・・それでも見覚えのある景色がチラホラ。
*3:この記事を読む前に最低でも『映画 けいおん!』『たまこラブストーリー』『聲の形』『リズと青い鳥』の山田尚子監督4作品は視聴しておくことをオススメします。
*4:絵コンテ上でカメラの配置やキャラクターに演技をつける事を演出と呼んでしまっていますが、演出という担当が別にあるので良い呼び方がないか・・・
*5:例えば、学校への登校〜帰宅は進行方向が逆です。
*6:きっと進行方向以外の要素、キャラクター・背景・カメラの位置・画角、前後のカットとの関係性など他との兼ね合いでレイアウトが決まっていくのでしょう。
*7:オーディオコメンタリーでは何故踏み外す事になったのか?について、小川太一さんが素敵な解釈を述べられていました。ぜひBlu-rayを購入ください。
*8:と言いつつ一回目の視聴で気がつくかというと難しい気がします(笑)個人的な体験では最後まで見たときに、そういう事か!と分かるケースの方が多いように感じます。また何度も見る上で、物語の主題を思い出す効果はありますね。
*9:『たまこラブストーリー』鴨川三角デルタの告白シーンは二人の立ち位置も含めて完璧なのでいずれ解説してみたい。
*11:この安全地帯ではクマだけにハチミツを舐めていたプー。
*12:『ファントム』には無かったのですが、飛行機・鳥の演出も山田尚子演出にはかかせない要素です。これも別でまとめてみたい。
*13:余談ですが、藤田春香監督は、この辺の足に対抗してかオリジナリティのある演出を開発しようとする心意気を持っているように感じます。『私たちは、いま!!全集2019』の山田尚子さんとの対談では、二人の仕事上での接点や憧れについて、そして実は大学の先輩後輩だったという事実が明かされたりと必読!
*14:見ていて分かりやすいし、真似したくなる演出という事です。