子育て×タルコフスキー×変態性欲『未来のミライ』
オープニング
α:山下達郎の曲に載せて、家族写真のスライドショーで映画が始まりました。なんだかいきなりエンディングみたいです。
樹木を白抜き、これが本作の真の主役ということですね。
自宅
建替えた自宅がかなり特徴的です。部屋が階段状に連なる平屋。元々あった木を中庭に植えて、左下が子供部屋、右上に大人と過ごす空間が並びます。これは画面の座標を表していて、左・下が幼さ・後退、右・上が成長・前進を意味します。
未来ちゃんが来た翌日、くんちゃんは久しぶりに帰ってきたお母さんに甘えます。寝起きの姿は左向きで丸まっており、胎児のようです。
本作では木が光ると超現実の世界に突入します。作中で詳しい説明はありませんが、これを仮に「トリップ」と呼ぶことにします。
トリップ1.ゆっこ・現代・後退
くんちゃんの前に、擬人化した犬のゆっこが現れます。背景はアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)ですね。作中で死期の迫った男が見る故郷の夢とそっくりです。さっき雪も降っていたし、これは年老いたくんちゃんの走馬燈なのかも…。まあ想像の世界ということではあると思います。
タルコフスキーネタだと、庭の木は『サクリファイス』(1986)からの引用ですかね。
なるほど、分かった!この後核戦争が勃発するけれども、お父さんが未来ちゃんを抱くことでそれが回避できる。感激したお父さんが自宅に放火、救急車で運ばれて映画が終わるんだ。
α:そんな夏休み映画はないですよ。
α:ゆっこのしっぽがくんちゃんのお尻に刺さります。これは肉体関係を意味していますね。
獣姦ですね。かなり直接的、『シャイニング』(1980)よりはわかりやすいです。
トリップ2.未来ちゃん・現代・前進
α:蜂ゲームでくんちゃんが恍惚としています。これは肉体関係を意味していますね。
近親相姦ですね。なんだか怖くなってきました。
α:ゆっこの外した笏がお父さんのお尻にぶら下がっています。これは肉体関係を意味していますね。
お父さんとも関係があったとは!乱れきっていますね。
トリップ3.おかあさん・過去・後退
お母さんとアルバムを見ていたためか、今度は過去にトリップします。
α:くんちゃんは拗ねて左側に、幼くなるどころか魚類にまで退化してしまいました。
幼いお母さんに出会って左側に進み、自宅に到着。お母さんにそそのかされて、めちゃくちゃに散らかします。
逃げ出した後は右側へ、暴風雨の中を進んで現実に戻ります。次に寝ているシーンになりますが、ここでは右向きでまっすぐ寝ています。反省して成長したのでしょう。
おかあさんがばあばから叱られたときの「信じられない!」という言葉は、くんちゃんもおかあさんから言われてましたね。「〇〇は私の宝」とか「何事にも初めはある」とか、同じ言葉が世代を超えて引き継がれていきます。
トリップ4.ひいじいじ・過去・前進
くんちゃんが自転車を練習する公園は「根岸森林公園」で、奥の建物は「旧一等馬見所」、昭和初期に作られた競馬場の跡です。かつては屋根がありましたが、のちに撤去されているので、ひいじいじと乗馬するシーンと現代とでは形状が違います。
ひいじいじはくんちゃんを乗せて、馬で、そしてバイクで右側へ駆け抜けていきます。怖がらずに前を見て進むことを学び、自転車に乗れるようになりました。
ひいじいじの写真を見てお父さんと勘違いするのは、お母さんがひいじいじと似た雰囲気の人を夫に選んだということでしょう。
トリップ5.くんちゃん・未来・後退
高校生になった自分に反抗して電車に乗りますが、これは左側に進んでいきます。遠くに見える黒い新幹線も左に進みます。
未来の東京駅に到着しますが、くんちゃんに構ってくれるお父さんはおらず、お母さんは怒ってばかりのオニババです。
東京駅の遺失物係に家族の名前を聞かれて、くんちゃんは答えられない。最小の社会である家族から孤立したように感じているからです。くんちゃん自身もただ家族に要求するだけ、受動的で双方向の関係性が築けていません。
そのために東京駅の地下、役目を終えた電車の墓場に辿り着き、黒い新幹線で一人ぼっちの国に連れ去られそうになる。社会的な役割を果たせない子供でいつづけるのであれば、居場所は無くなってしまうということですね。新幹線に乗ってしまったら、はるか左下に連れていかれて戻ってこれそうにありません。現実世界ではわがままな引きこもりになってしまうのでしょう。
それに対してくんちゃんは、未来ちゃんの兄であることを引き受けますと宣言をする。初めて自分の役割を自覚したことで急激に成長し、地下を飛び出して、東京駅の屋根を突き抜け、空に打ち上がるのです。
葉っぱにナンバーが付いていますが、お父さんの思い出がSYL91-897-073-0、お母さんとひいじいじがHMS93-959-774-0、ゆっこと未来の自宅がLDB82-121-877-0で、2組は同じナンバーです。何か規則性があると思うのですが、ちょっと思いつきませんでした。
タルコフスキー的に解釈すると、男女が宙に浮かぶのは、セックスして結ばれた喜びを意味します。やっぱり2人の間には肉体関係があるのではないか。
α:くんちゃんが未来ちゃんにバナナをあげました。これはもう決定的ですね。
離乳食がお兄ちゃんのバナナって、どうかしてますよ。
エンディングはオープニングと同じく家族写真のスライドショー。映画全体がループになっています。或る家族の或る日常を切り取ったということでしょう。αでありΩである。
感想
劇場公開時は世間から散々な評価だったのでスルーしてしまっていたのですが、観てみたらかなり良いのです。個人的には細田作品で一番良い。
一見して、わがままな男の子とダメな両親との日常、そこに挟まれる超現実的なトリップの繰り返し。極めて小規模で変な映画です。過去作のようなエンターテイメント大作を期待した観客には、そっぽを向かれてしまったのかもしれません。
画面の使い方に気付くと、ずっと分かりやすくなると思います。家の真ん中にファミリーツリー(家系図)があり、右上と左下を行ったり来たりする。前進と後退を繰り返しながら、それでも少しずつ成長していき、やがて次の世代が生まれて、またそれを繰り返す。そして子供が自然と成長する裏には、家族の思い出の積み重ねが隠れているのではないか。普遍的なテーマを独特の世界観で描いた、素敵な映画でした。
ただ、突っ込んで観ると監督の性癖がにじみ出ていて、獣姦・近親相姦を扱っている危ない作品です。なぜこれがR18ではないのか。子供が真似して飼い犬のを尻に刺したり、妹に自分のバナナを与えたりしたら大問題です。
細田監督にはぜひ年齢制限をかけた上で、思いのまま過激な作品を作ってもらいたいですね。
α: 家系図(アカシックレコード)にアクセスし過去を参照しながら未来に向けて成長するギミックが、テクノロジー・子供・獣と過去作品の要素を参照しつつ未来に向かっている映画をつくる監督の作家性ともリンクしている二重構造が面白かったです。
本作は一見テクノロジーは関係無さそうですが、家系図の表現は葉にシリアル番号のような数字が書いてある事から話題のブロックチェーンやDAGといったデータベース技術へ参照なのか偶然なのかリンクしています。VRやMR向けの3次元映像記録装置やサービスもそろそろ実用化されていきそうで、そういった映像データをブロックチェーン上に記録する事ができれば、本作に出てきたアカシックレコードも実現不可能という訳ではないでしょう。サマーウォーズが発表された当時、まだまだVRは流行していなかったですね。ローテクが蔓延ると噂のアニメ業界において、比較的テクノロジーに対する先見性があるというかナチュラルボーンで出来ちゃう方なのかもしれません。
技術的な未来志向とは別に、人口減少社会において子供の成長をテーマに据えるというのも将来を見据えていて個人的には好感が持てました。話は代わりますが、ケモナーアニメ監督というと、けものフレンズ・ケムリクサのたつき監督とも比較できそうです。日本を悲観しているのがたつき監督*1で、希望を持っているのは細田監督と言えるのかもしれないです。
細田監督にはぜひテクノロジー・獣・子供などをモチーフにしつつ、前向きな未来を描いていってもらいたいですね。
語り:Ω/編集:α