映画が終わらない

映画館の暗がりが落ち着くΩと京アニ好きのαによる与太話

映画「聲の形」から読み解く!山田尚子監督の演出意図

f:id:CobaltBombAO:20180402195950j:plain 将也と硝子がはじめて触れ合うカット

山田尚子監督作品をはじめ京都アニメーションの作品は何気ないカットの積み重ねにより、キャラクターの気持ちや行動原理を説明している事が多いです。楽(らく)しようとすれば、説明セリフや文字で説明してしまいそうですが、動画というメディアの特性を活かした演技・背景・カメラワーク等によるきめ細かい情報の制御がなされています。そしてファンは、そこからどれだけの情報を受け取れるのかを楽しんでいるようです。今回は映画「聲の形」のいくつかの例を通して、カットの積み重ねによる京アニの演出意図がどのように明示されているかという視点で書いてみようと思います。

「シューティング」に隠されたコミュニケーション不全な将也

f:id:CobaltBombAO:20180402191801j:plain シューティングゲームをプレーする将也

f:id:CobaltBombAO:20180402191934j:plain 輪ゴムで的当てをする将也

f:id:CobaltBombAO:20180402192009j:plain 硝子の事をシューティングゲームのボスが来た!ように感じている将也

子供時代の将也はとにかくシューティング(物を投げる事)が好きなようです。確かに男の子は鉄砲とか好きですが・・・・

f:id:CobaltBombAO:20180402192125j:plain 硝子に向かって小石を投げる将也

f:id:CobaltBombAO:20180402192203j:plain 硝子に迫られ、焦って砂をかける将也

硝子相手にもまるでゲームのようにシューティングを繰り返しています。『一方的に遠隔から攻撃』をしている事から、コミュニケーションの手段として考えると『対話をする気がない』ようにも見えます。とはいえ耳に障害がある硝子にとっては音声よりも物理攻撃の方がコミュニケーション手段として効果的なのかもしれません。実際に、小石を当てられた硝子は、怒るではなく友達になろうと将也を誘います。

f:id:CobaltBombAO:20180402192250j:plain チョークを投げる

f:id:CobaltBombAO:20180402192434j:plain 補聴器を投げる

f:id:CobaltBombAO:20180402192348j:plain ホースで水をかける

その後もひたすら遠隔攻撃を続けていますね。将也にとって硝子は遊び道具(タコのボス)みたいな人なので、イジメようと思ってこのような行為を繰り返していたわけでは無いのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402192544j:plain 手話が気になっている将也

自分の得意なシューティングを通してしか、コミュニケーションしようとしなかった将也ですが、手話に対して少し特別な反応をするカットがでてきます。周りの子は特に手を動かしてない事から、将也は興味があるのでしょう。これが後々手話を覚える伏線として機能していますね。

f:id:CobaltBombAO:20180402192755j:plain 硝子に対して「友達になろう」と手話をする将也

自殺を辞めてからノートを返しにいく展開は、少し唐突な印象も受けましたが、自分がイジメられる原因となったノートや硝子の事を清算したかったのかもしれません。手話を覚えていた事からも、小学校を卒業した後も彼女の事が心残りだったのではないかと推測できます。そして、ようやく硝子とコミュニケーションを取ることができるようになりました。「俺は物を投げるのが好きだ!」とか「手話を勉強して彼女と話したい!」みたいな野暮なセリフが一切出てこないのが京アニらしいですね。

2度の自殺の引き金になった「自責の念」の闇 西宮硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193328j:plain 転入生 西宮硝子による所信表明

小学校時代の硝子の行動原理は、とにかく『ノートを通じて仲良くなりたい』です。

f:id:CobaltBombAO:20180402193443j:plain 植野さんが友達と楽しくやっている様子を羨ましそうに見ている硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193520j:plain イジられていたのに「ありがとう」と返してしまう硝子

f:id:CobaltBombAO:20180402193600j:plain 将也がケガの原因なのに「ごめんなさい」してしまう硝子

何をされても「ありがとう」「ごめんなさい」と無難な言葉で返してしまっています。小学生くらいなら謝っておどけたり、逆に怒って喧嘩したりというコミュニケーションが上手くできれば良かったのかもしれませんが、硝子は抱えている青いシクラメン花言葉のようです。後々の話しで分かることですが、彼女は周りの人が不幸になると、自分を責める傾向があります。友だちになりたいという強い気持ちと共に、(これは想像ですが過去にイジメられた経験から)「自責の念」があります。そのため自分にケガを負わせた事で先生に叱られた将也に対しても「ごめんなさい」なのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402193941j:plain よくみると硝子がノートを沈めているカット

さらに友達になろうという事を頑張って伝えようとしましたが、将也にノートを投げ捨てられてしまいました。硝子が水に入り、ノートを拾い上げると思いきやノートを沈めています。つまり、ここでノートを通じて友達をつくるという当初の目的を諦める選択をします。

f:id:CobaltBombAO:20180402194028j:plain 後ほど結弦の夢の中で出て来るシーン

ノートで友達をつくることに失敗した硝子は、結弦に自殺したい事を伝えています。この時は(きっと家族の説得があり)自殺をしなくて済みましたが、追々学校を転校することになります。

f:id:CobaltBombAO:20180402194118j:plain 「これでも頑張っている!」と硝子

『友達を作る』と本人なりに頑張ってはいるが、やり方が不器用だったり、周りの不理解によって仲間になれませんでした。

驚いたのは硝子がノートを沈めた後に、イジメのスケープゴートになりいたずら書きをされていた将也の机を拭いてあげています。ここはやはり『自分のせいで将也がイジメられてしまった』という「自責の念」が生まれ、それを少しでも晴らす為の行動だったのではないでしょうか?この傾向は、高校時代においても自殺の引き金となってしまいますね。しかし、作品中には彼女がどうして「自責の念」を持つようになったかまでは描かれてないようです。

「恋をしたのは、いつからか?」aikoの主題歌について

f:id:CobaltBombAO:20180402194238j:plain 髪型を変えて一世一代の告白をする硝子

硝子の告白シーンは少し唐突なようにも思いました。監督のインタビューでもこれは将也の物語であることが強調されていました。きっと硝子のことを描く部分はいくらか省略しているのでしょう。

f:id:CobaltBombAO:20180402194517j:plain 小学校の水に沈めたノートを受け取った硝子

この告白に至った動機を想像してみます。まず自分が諦めてしまった「友達をつくるノート」を将也が持ってきてくれた。更に手話で「友達になれるかな?」と返して貰えた事で、小学校の時の悲願であった「ノートを通じて友達をつくる」という目的を唐突に達成する事ができました。またこの後、目の前で川に落としたノートを再度拾い上げてもらうことで、彼女にとっての小学校時代の辛い思いでは一旦清算され、再始動した1ように思います。

現実にこんな事があれば、友達以上感情を持っているという想像は難しくないです。実際に眼がウルウルする演出も入っていましたね。

その後、突然将也の自転車に植野が乗って現れた事がありました。あわや恋のライバル登場に焦りがあったのかもしれません。また難聴が進行した事でもっと人生を大切に生きようなどと思ったなど想像できます。しかし、いずれも告白するトリガーになるような決定的な演出は入ってないようで結論を出すのは難しいなと思っています。

f:id:CobaltBombAO:20180402194756j:plain aiko 恋をしたのは

ここで話しはズレますが主題歌の「恋をしたのは」について。はじめて映画館でこの主題歌を聴いた際に、実は内心ズッコケてしましました。というのも映画の主題は明らかに「恋」ではなく「コミュニケーション」の問題を描いており、2人で支え合って問題から脱出し生きていく、恋か愛かと問われればどちらかというと「愛」を描いているのに、何故「恋」について歌っているんだ?と全く理解できませんでした。

きっと製作委員会の音楽プロデューサーあたりが主題歌に対する決定権を持っており、興行的な成功を狙い恋愛映画のような見立ててで宣伝するためにaikoさんを抜粋したのだろうと邪推をしたりもしました・・・。

当初はこのように感じていたのですが、何度か視聴を繰り返す内に、上記の硝子が恋をした事があまり描かれていないな・・・「恋をしたのは、いつからか?」と思うようになりました(笑)ご存知のようにこれはaikoさんの歌詞と同じです。

きっとaikoさんも映画のプロットを見た時に同様の疑問にぶち当たり、恋愛ソングの女王としては、硝子の気持ちを補完せずには居られなかったのでしょう。この観点で歌詞を読めば、エンディングも演出の1つとして理解できそうです。実際に山田監督に質問する機会があれば、aikoさんにどういう発注をしたのかは聞いてみたいですね。

小ネタ集

暇になったら「シャーペンノック」する将也

f:id:CobaltBombAO:20180402194959j:plain 暇で退屈している将也。教室でシャーペンの芯をノック

f:id:CobaltBombAO:20180402195016j:plain 硝子が転校した後、さいどシャーペンノックを再開

硝子が現れてからは、この癖は出てこなくなるのですが、転校した後に再びノックをはじめます。やはり硝子のことは暇つぶしという認識だったのでしょうか・・・?

はじめに「床屋に硝子が座っている」カットの謎

f:id:CobaltBombAO:20180402195122j:plain ボサボサの髪の上に葉っぱが一枚

このシーンは時系列のどこに位置するか少し謎があります。 硝子のお母さんが髪切ってもらっている後ろでイジメられた形跡のある硝子が座っています。転校する前? 転校後?どちらでしょう。転校前だとしたら以前の学校に通っていたときにもイジメられていたという事になりそうです。転校後であれば将也達と何かしらコミュニケーションがありそうなものです。やはり転校前なのでしょうか。

スポンサーの「みずほ銀行」以外の銀行が出てくる謎

f:id:CobaltBombAO:20180402195233j:plain 冒頭にでてくる『水門銀行』

f:id:CobaltBombAO:20180402195244j:plain みずほ銀行」で示談金を卸す将也の母

f:id:CobaltBombAO:20180402195257j:plain 植野がチラシを配っている後ろにある『みずほ銀行

劇中に映画スポンサーである『みずほ銀行』がでてくるのですが、なぜか冒頭は『水門銀行』となっています。冒頭からいきなりスポンサーが出てくると観客が現実に意識が戻されてしまう、もしくは、自殺するために精算するお金を引き出すというネガティブなシーンは避けたいという事なのでしょうか?一般的に未成年の子供は親と同じ銀行で口座を持つと思いますので、あえて変えているのでしょう。

(おまけ)絵コンテを読んだけど その2

f:id:CobaltBombAO:20180402195412j:plain 絵コンテでは「いっしょにゴミ捨ていきませんか?」といった内容でした。

「私たちは今 2017」にて聲の形の絵コンテを見ていて、1つ発見がありました。上記のシーンのノートに書いてある言葉が絵コンテの時点では「いっしょにゴミ捨ていきませんか?」というようなセリフになっていたのです。

製作のどの時点で変更が有ったのかは分かりませんが、絵コンテから変更されています。単に山田監督が1人で考えた絵コンテをトップダウンでアニメにしているのではなく、スタッフとの打ち合わせや製作の中でインタラクティブに変更が加わったんだろうと想像できます。

「ゴミ捨て〜」だと植野達が掃除をサボっていたのを咎める硝子のマジメさをクローズアップする形になりますが、変更後の「何を話していたか教えて?」だと友達の輪に入りたいという硝子の気持ちがより際立つようになっています。ストーリーに沿った良い変更だな思いました。

まとめ

山田尚子監督作品に限らず京都アニメーションの作品はカットの積み重ねでその後ろ側に流れているキャラクターの感情や行動原理が説明されています。この記事を通して京アニファン以外の方にはアニメ視聴に新しい観点を提案できれば幸いです。もし新しい発見があったら教えてください。

他にも各キャラクターの感情の動きや劇伴についても書いて見たい所ですが、ここで打ち止めとしたいと思います。個人的に公開後からこれまで記事を書こうかどうしようかと悶々としていました。今回と前回の記事を通して「聲の形」に対しては禊が済んだような気持ちで、山田尚子監督の最新作「リズと青い鳥」に向き合えそうです。楽しみですね。

そして次の映画がはじまるのです。

語り・編集 α

引用

おすすめ

前回の記事では、京都アニメーションの演出として普遍的な要素をデザインパターンとして抜き出してみました。 cobaltbombao.hatenablog.jp

今回の記事で触れていない「聲の形」の全体の内容については、富崎学さんという方の考察がまとめられたTogetherをご覧ください。これを読めば大筋として映画「聲の形」を理解・納得できると思います。コレを読んだ当初は何も書くことが無いなと焦りました(笑) togetter.com


  1. 「自責の念」以外は